十三歳の天才ギタリスト、蒼井鳥夫(あおい・とりお)が主人公の小説、『ブルース少年』の、第8話です。

理想とはかけ離れた出来栄えになったシングル盤に深く失望した鳥夫でしたが、戸敷さんの感謝の言葉を聞いて、この体験にも意義があったのだと判り、気を取り直すことができました。
そして、いよいよ鳥夫の中学生活が始まります・・・。


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ブルース少年

(8)天才少年、中学生になる

ぼくらのシングル盤のうち、“上を向いて歩こう”は、佐元さんの提案で、写真を使った簡素な宣伝動画が作られて、路上セッションが公開されたのと同じ動画サイトで公開されることになった。残念ながらと言うべきか、やっぱりと言うべきか、その動画には、ひと月の間に、好意的なコメントが一件書き込まれただけで、再生回数も千回くらいで頭打ちになり、日々入れ替わる人気動画の陰でひっそりと埋もれていった。それでも、佐元さんによると、それから二ヶ月で、流通させたシングルのうち半分以上が売れた、という事だから、最初の二つの人気サイトでの紹介が、いかに大きな宣伝になったか、という実例にはなったのだろう。
日野社長は、ぼくらのシングルに早々に見切りをつけたらしく、たとえ完売しても追加プレスはしない、という決定を、佐元さんを通じてぼくらに伝えた。戸敷さんは、その決定があった数日後に、中学生になったぼくの詰襟服姿を見に来てくれて、「蒼井君がビッグになるのを、楽しみにしてるよ。」という励ましの言葉を残して、沖縄に旅立って行った。
ぼくはまた、一人ぼっちになったような寂しさを感じながら、新しい学校生活と、ブルースの練習を両立できるように、けっこう忙しく毎日を送り始めた。
中学校には、ぼくと同じ小学校の生徒だけではなく、近隣の小学校の生徒も入学していたから、もしかしたら、ブルースが好きな人も、中には居るんじゃないかと、少し期待していたのだけれど、ぼくが話をしたクラスメイトの多くは、Jポップやビジュアル系、アニメソング、アイドルグループの音楽が好きで、やっと一人見つかった洋楽が好きな生徒も、アメリカのイケメンアイドルグループが好きな人だった。
こうやって、周りの人の音楽の好みが、あらためてはっきりして来ると、そもそも、中学一年生で、アメリカの戦前ブルースが好きな生徒なんて、この日本では、ぼくだけなんじゃないだろうかとさえ思えてきた。
だけど、この世界には、めぐり合わせの妙とでもいうものが、たしかにあるらしい。
思いもよらないところで、ぼくはぼくの好きな音楽に近い趣味を持った人と、出会うことができた。
中学生になると、本格的に英語の授業が始まるのだけれど、その授業を受け持つ石井先生が、カントリーやオールディーズなど、アメリカの、少し古めの音楽を、学生時代から好んで聴いて来られた方だったのだ。
石井先生は、ぼくが音楽活動をしていたことも知っていて、「蒼井君のこと、職員室でけっこう話題になってたよ。仕事で音楽やってるんだって?今度ぼくの授業の時に、英語の曲を歌ってもらおうかなあ。」と言って、ご自身が趣味でアコースティックギターを弾かれていることも話してくれた。
ぼくが、今はバンドの仕事をやめている事と、アメリカの戦前のブルースに熱中していることを話すと、「ブルースも良いよね。ぼくはそんなに詳しくないから、よかったらお勧めのCDを教えてよ。」と言って、ご自身でも、カントリーやオールディーズのお勧めCDを貸してくれると約束してくれた。
ぼくは、けっこう悩んだ末に、ロバート・ジュニア・ロックウッドのCDを貸すことにした。このミュージシャンは、ある程度ブルースに詳しくないと知らないだろうし、現代的なブルースなのに、コクもあって、幅広い趣味の人が楽しめると思ったので、自信を持って勧めることができた。
石井先生は、「蒼井君は、有名どころはたいてい聴いてるだろうから、うちにあるCDで、一番esotericなのを持ってきた。」と言って、アメリカの古いカントリーミュージックの編集盤を貸してくれた。
ぼくはこの中の、フィールズ・ワードという人が歌う“スウィート・ウィリアム”という曲に、すっかり魅了されてしまった。
この曲はなんと、無伴奏の歌のみで録音されていて、それでいて、物足りなさを全く感じさせない、とても深くて豊かな音楽性を持っていた。
戸敷さんと作ったシングル盤を初めて聴いた時に、演奏が追加されることで全てが駄目になる場合もあるんだと思い知らされたぼくにとっては、歌だけでここまで充実した表現ができるというのは、自分の失望の正しさを証明されたような、大きな励みになる発見だった。
石井先生も、ぼくの貸したロックウッドのCDが気に入ったみたいで、「出勤途中の車の中で聴いているけど、思っていたよりもブルースって親しみやすい音楽なんだね。」と、嬉しいことを言ってくれた。
ぼくは、放課後の時間もブルースの練習にあてるために、部活動には所属せずに(部活で音楽をやろうにも、うちの学校には音楽系の部が、吹奏楽部しかなくて、ギターは基本的にお呼びでなかった)、家に帰ったらひたすら歌とギターの練習と、好きなミュージシャンの演奏を譜面に書き起こす勉強に時間を費やした。
そのうち、石井先生から、授業で英語の曲を弾いてほしいとあらためて頼まれたので、ぼくは家からギターを持参して、午後の英語の時に、クラスメイトの前で、お気に入りのブルース、“ローリン・アンド・タンブリン”と“ゼイアー・レッド・ホット”、それから“イッツ・ノーバディズ・フォルト・バット・マイン”という三曲を披露した。
英語の曲をということで、歌詞を暗記して歌える曲を歌ったのだけれど、石井先生は、演奏が終わって、みんなが拍手をしたり、指笛を鳴らしたりして、囃(はや)してくれた後で、「さすがに、プロの演奏は迫力が違うね。だけど、聴いていて、気になるところがなかった?」と、みんなに質問した。
すると、うちのクラスで一番英語が得意な羽生さんが手をあげて、言いにくそうに、「英語の発音が……ちょっと気になりました。」と答えた。
石井先生は、「発音が、どんなふうに気になった?」と、再度羽生さんに尋ねた。羽生さんは、少し顔を赤くして、「日本語英語、というのかな、そんな感じがしました。」と言った。お調子者の新藤が、「おれも、それは言おうと思ってた!」と言ったので、みんなはいっせいに笑った。
ぼくは、とても恥ずかしかったけれど、石井先生は、ぼくの肩に手を置いて、「蒼井君の発音は、元の歌手の英語の発音を、かなり上手にまねて、歌えていたと思う。みんなの中に、このくらい上手に英語で歌える人は、たぶん居ないんじゃないかな。」と言って、
「それでも、言葉の端々で、本物の英語とはどこか違う、という、違和感を感じるよね。それは、例えば英語圏の人が、日本語の歌を歌った時に、どんなに上手な発音で歌っても、言葉の端々に、ぼくたち日本人が、どことなく違和感を感じ取るのと、同じなんだよ。」
と言った。
クラス委員の岸本さんが手をあげて、「日本人が、日本語の発音の悪さを、細かく聴き取れる、というのは分かるんですが、どうして、英語がよく分からない日本人でも、英語の発音の悪さに、気がつくことができるんでしょうか?」と聞いた。
竹やんが、「新藤だって気がついたんだから、不思議だよな。」と言ったので、またみんなどっと笑った。ぼくもつられて笑ってしまった。
石井先生も、微笑みながら、「これは、ぼくの推測なんだけど、ぼくらは、日常で、本物の英語の発音に接する機会がけっこうあるよね。テレビとか、ラジオとかで。その時聞いた言葉の響きを、どこかで記憶していて、それと今聴いている発音がまったく同じかどうかを、頭の中で照らし合わせる、ということが、無意識のうちにできてるんじゃないか、と思うんだ。」と言った。
「人間の脳はノウ力を秘めているんだよ!」と、勉強の苦手な七海が、もっともらしく締めくくったので、教室はまたしてもけたたましい笑い声でいっぱいになり、となりの教室で授業をしていた数学の木田先生が、「もう少し静かに勉強させて下さい!」と石井先生を注意しに来たくらいだった。
この授業で、ぼくが学んだことは、英語の歌を歌うなら、少なくともクラスメイトくらいには、発音の悪さを指摘されないくらいに上達しないといけない、という事と、それが無理なら、日本語でブルースを歌う、高谷さんのスタイルを追求して行くしかないな、という事。
そして、ぼくは英語に自信が無くなった事もあって、日本語によるブルースでもいいじゃないか、という消極的な選択をしたい気分になっていた。
ところが、その日の授業が終わって、ぼくがギターケースを背負って、友だちと下校しようとしていると、職員室の前で待っていた石井先生がぼくを呼び止めて、「ああいう話をしたのは、ぼくが若いころ、アメリカに留学をした時に、発音のことで、クラスメイトから散々からかわれたからなんだ。もちろん、優しく指摘してくれる人もいたけど、それはぼくが語学留学生だったからで、もし、君がプロとして、英語の歌を歌うことを仕事にしたいなら、楽器の練習と同じくらい、英語の練習にも、力を入れて行かないといけないと思うよ。」と、話してくれた。
それで、ぼくはやっぱり、英語の歌も、石井先生が喜ぶくらい上手に歌えるようになりたいなと、あらためて思った。

つづく

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【石井先生】







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