きょうは、ビートルズのAll You Need Is Love(愛こそはすべて)を、自分の歌声の多重録音でカバーしてみたのでご紹介します。
音楽編集ソフトでピッチ(音程)を極端に上げて、面白い声に加工してあります。
画像中央の再生ボタンを押して、楽しんで頂けると嬉しいです。

歌とイラスト:こびと






 きょうは、知人と共作した、YouTubeの動画をご紹介します。
ボブ・ディランの「All Along The Watchtower(見張塔からずっと)」という曲を、日本語訳詞でカバーした作品です。
訳詞とイラストを私が担当し、歌とギターとハーモニカをTerayamaさん、ドラムをGloryさんが担当しました。

歌詞の内容は、賊(ぞく)と道化の会話劇で、世の中への風刺が込められていると思います。

画像中央の再生ボタンを押すと聴けるので、楽しんで頂けると嬉しいです。







 八木重吉(やぎ・じゅうきち)という名前を、聞いたことがありますか?

私が尊敬する、三人の詩人の中の一人です。

重吉は、昭和2年(1927年)に30歳の若さで、肺結核により亡くなったので、彼が残した詩は、今からおよそ90年以上も昔に書かれたものということになります。

彼が得意としたのは、2~6行くらいの、ごく短い詩です。

私が好きな、彼の詩を、一つ紹介します。
とは言っても、この詩は、重吉が考えたものではありません。重吉の娘の桃子が、自分で作って歌った歌の文句です。
重吉自身が、詩の題名の横に、ちゃんと本当の作者の名前を書き添えてあります。





栗 (桃子のうたえることば)
                 桃子満二歳余




くり

くり

くり 採って

くり たべたい











重吉は、桃子の事を大変に可愛がっていたので、彼の詩の中にも、桃子が登場する機会は多いです。
この、桃子が思い付きで歌ったであろう歌の文句の、簡単さ、みずみずしさ、面白さは、重吉が目指していた「分かりやすく胸に響く詩」と相通じるものがありますし、重吉の代表的な詩と比較しても、決して引けを取らない、素晴らしい出来栄えの詩になっている、と私は思います。

実は、これはなにも、詩人の娘である桃子ならではの特技、というわけではありません。
朝日新聞に、子供の何気ない一言を読者が投稿する「あのね」という欄があって、本にまとめられて出版もされているんですが、それを読むと、子供の言葉や物の見方が、大人に比べて知識の裏付けが十分でない分、とても新鮮な響きと視点を持っている事が分かります。

「詩心」というのは、技巧や感性など、様々な要素を含んでいるとは思いますが、こういう優れた響きを持つ子供の言葉に接すると、「子供心」が、その一つの源泉であることは間違いないように思います。



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 評論家以外の人が、創作物の評論をすると、「そんなことするべきじゃない」と言う人がいますが、どうして、評論自体を、悪いことのように思うのでしょう。

確かに、肯定的でない意見は、反発を感じることもありますが、意見の内容が的を得たものであれば、それは創作者にとっても、鑑賞者にとっても、有意義なものだと私は思うんです。

講評と悪口は違います。講評というのは、作品に接して、思ったこと、感じたことを、筋道立てて説明することです。

もちろん、講評の内容が批判ばかりでは、角が立ちますから、良い点を認めつつ、改善できそうな点を指摘する、という配慮も必要です。そして、その批評に対する反論も、それが妥当なものであれば、批評した側は真摯に受け止めなければなりません。
「評論すること自体に対する批判」を目にする度に、私は、「そういう講評のやりとりがあることは、むしろ歓迎すべきことなのに」と、残念に思います。

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 きょうは、新作の短編童話、『小悪魔のガリムン』を書いてみたので、ご紹介します。

誰にでも、心の中に、嫌な自分というのは、居るものです。
それを、嫌だ嫌だと思って、嫌いつづけるのか、良い方向に導いてやるのかは、自分しだいです。




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小悪魔のガリムン

ガリムンは、人の心に住んでいる小悪魔です。
ガリムンが好きなのは、けんか、いじわる、失敗、泣きっ面、などです。
もちろん、自分ではなくて、他の人がそんな目に遭うことが大好きなのです。
私は、ガリムンに、「そんないやなこと考えていたって、楽しくないよ。こっちに来て、いっしょに遊ぼう。」と、何回言ったかしれません。
そのたびにガリムンは、「お前だって、いつ裏切るか分からない。信用ならない。」とはねつけます。
でも、私は知っています。
ガリムンは、親切にしてくれた人が、病気になった時、かける言葉を探して、その人の家の前で、三十分も立ち尽くしたことがあります。
また、しばらく見かけなかった気の良い野良猫が、公園のそばの階段に戻ってきた時、ガリムンは、まわりに誰もいないのをよく確かめてから、野良猫のそばにしゃがんで、「お前元気だったか。」とささやきました。
それから、ガリムンは、ふだんガリムンをばかにしている人から、「ありがとう。」と言われただけで、自分の持っているなけなしの真心を、あらんかぎり、与えたことがあります。
だから、私はガリムンを、そんなに悪い小悪魔ではないと思います。
それどころか、ガリムンには、ずいぶん天使に似たところがあるな、と思います。
つまり私は、ガリムンのことが、大好きなのです。
みなさんは、ガリムンの事を、どう思いますか?

おしまい







 きょうは、ムーミンのキャラクターの中でも、特に可愛らしい、リトルミイという女の子を描いてみたので、ご紹介します。

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「ムーミン」とは、フィンランドのトーベ・ヤンソンという作家が書いた、ファンタジー小説の主人公の名前です。
1945年から1970年にかけて、9冊の本が出版されたシリーズもので、漫画的な魅力あるキャラクターが、作者自身の手による挿絵で、たくさん登場する事でも知られています。
とはいえ、私はこのシリーズのうち、『小さなトロールと大きな洪水』と『楽しいムーミン一家』の2冊しか読んでいないので、絵だけ知っていて、素性は知らないキャラクターの方が多いです。
リトルミイも、よく知らないキャラクターなんですが、一度見たら忘れられない、個性的な容姿に魅力を感じます。
私の絵では、実写版をイメージした少しリアルな顔立ちで描いてありますが、原作ではもっと丸っこくて親しみやすい、漫画的な風貌をしています。



 暖かい秋が続きますが、皆さんいかがお過ごしですか?
先日、夕飯に白菜汁をしたら、とても美味しかったので、暖秋でも冬野菜は順調に旨味を増しているようです。
さて、きょうは、オリジナル童話、「アンチャンの小人たち」の、第11話が書けたので、ご紹介します。

落葉の舟に乗って川下りをする、アンチャン村の小人たちの物語です。
今は、舟が沈没して、たどり着いた無人島を探検している所です。

それでは、さっそく、新しい挿絵とともに、お話の続きをお楽しみ下さい。

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アンチャンの小人たち 第11話


「ケラは舟のあるところで待っててくれよ。」
ウタオがそう言ったので、ケラは崖の端から頭を引っ込め、小人たちは、ウタオにうながされて、ひとまず山を下りて行きました。
ふもとの川岸まで来ると、ウタオはみんなを、さっきツキヨと探検した島の裏側の道に連れて行きました。
そこから山を見あげると、中腹の岩と岩の合い間から、頂上が少し見えたので、ウタオは大きな声で、「ケラ、見えるかい?」と声をかけました。
すると、頂上で、小さな小さなケラが手を振っているのがかすかに見えました。
「これから、ケラに舟を投げてもらうから、みんなでそれを受け取るんだ。」
ウタオの説明を聞いて、小人たちはようやく、ウタオの案というのがどんなものか分かりましたし、これ以上ない上手い案だとも思いました。
ウタオは続けて、
「この道は中腹まで登れるから、上の方で受け取る人も決めるんだよ。そうして、上の人から下の人へ、順々に舟を渡して行くんだ。」
と言ったので、ツキヨはすっかり感心して、
「すっごくいい案だわ!」と言いました。
ムスビも安全そうな案だと分かったので、
「なんだ、いい方法か分からないなんて言ってたが、ふつうの名案じゃないか。」
と言いました。
そこで、みんなはふもとをツキヨに任せて、それぞれに斜面を登って、高い方から順に、ムスビ、ウタオ、ユニオというふうに、一列に並びました。
ムスビが、山の頂上を見あげて、「よーそろー!舟を落とせえ!」と叫びました。するとケラが「おーけーさー!」と返して、ほらの中から落葉を一枚担いで来ると、ムスビにねらいを定めて、崖の端から放り投げました。
もし、これが私たち人間だったら、どんなに小さな舟だって、下の人に狙いを定めて放り投げるなんて、とっても危なくて見ていられません。でも、小人たちの舟といえば、薄くて軽いただの落葉ですから、小さいものだったら、こんなふうに一人で担いで来られますし、高いとこから放り投げたって、ふらふら舞い降りるばかりで、ちっとも危ないことはないのです。
ほら、ムスビを見ていると、落葉の動きに合わせて、岩棚の上で右往左往したのち、ちょうど真下で、両手を広げて上手に受け取ったでしょう?
これもまた、小さいって事の便利なところなのです。

つづく

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 きょうは、新作の短編童話、「ナンナとブーウ」を書いてみたので、ご紹介します。
絵本にできるくらいの、ごく短いお話で、内容は、犬のいる家庭に、猫が新しく加わる時の、動物視点での情景です。
ナンナ(猫)とブーウ(犬)の挿絵も描いてみたので、参考にしながらお話を楽しんで頂けると嬉しいです。


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ナンナとブーウ

ナンナはブーウが大好きです。
子猫の時、ナンナはブーウと、初めて会いました。
ナンナは「犬っていうのは怖いものだよ。」とお母さんから教わっていたので、うしろ脚で立って、前脚の爪を振り上げて、「フーッ。」とブーウをおどかしました。
ブーウは、それを見ると、伏せをして、横を向いて、寝たふりをしました。
ナンナは、いくらおどかしても、ブーウが知らん顔をしているので、しょうがないと思って、うなるのをやめました。
ブーウはナンナが部屋の中をうろうろ調べはじめたので、時々頭を上げて、「それ僕の餌ばこだよ。」とか、「それ僕のおもちゃだよ。」とか、ナンナに教えようとしましたが、またおどかされそうなので、やっぱりおとなしく、寝たふりをしていました。
ナンナは探検が終わると、自分の餌ばこから餌を食べ、自分の水入れから水を飲んで、洗濯かごに座布団を敷いた、自分の寝床にはい上がりました。
そして、ブーウを見おろしながら、「ナンナ!」と、あくびするような大声で鳴きました。ブーウも、ナンナを見あげて、ひとり言のように、「ブーウ。」と鳴きました。
(その時に、私はナンナを、「ナンナ」という名前に決めたのです。)

次の日から、ナンナはブーウを、怖がらなくなりました。
だってブーウは、ナンナが怒ると、決まっていそいそ寝たふりをするからです。
ナンナはブーウのしっぽで遊んだり、ブーウの毛をなめて整えてやったりしました。
それから、ナンナは時々、ブーウの首っ玉にしっかりと抱き付きました。
ブーウはたいてい、おとなしくしていますが、時々、ナンナの鼻づらをベロリとなめました。
するとナンナは、いつでもくすぐったそうに、頭を引っ込めて、クシャンとくしゃみをするのでした。

おしまい



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 こんばんは。
きょうは、ファンタジー小説「魔法使いサキの物語」の、第11章・第1話を書き進めてみたので、ご紹介します。

第10章では主に、魔法庁の役人、ダンケルとマイネの動向について書いてきましたが、第11章では視点が変わって、サキが旅の共のカイザールに物語った、自分の子供時代の思いで話から始まります。
新しく描いた挿絵と照らし合わせながら、久しぶりのサキの声を楽しんで頂ければと思います。

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サキがカイザールに物語る ―私が子供だった頃―


私が覚えている、いちばん古い思い出は、マンネンセンという村に、両親に連れられて引っ越したことです。
家財道具を積んだ荷馬車に揺られてゆく道中に見上げた、道ばたの、名前も知らない大きな木の、枝葉の広がり具合とか、風にさらさら揺れる音が、今でも時々懐かしく思い出されるんです。
母は子供のころから、ヌマ様に弟子入りして、いっしょに暮らしていたので、たぶん、父と結婚し、私が生まれたのを機に、ヌマ様から独立をして、マンネンセンに移ったのだと思います。
父は土木技師で、マンネンセンの属する地方の有力者に雇われて、聖堂や橋の建設にたずさわるために、村に移り住んだのだそうです。
母は早くから、私に魔法の手ほどきをしていたようです。でも、私は当たり前の事としてそれを行なっていたので、いつから魔法が使えるようになったのか、自分でもよく分かりません。
ある日、母が作った折り紙の動物を、私が魔法で動かして遊んでいると、帰宅した父がそれを見て、とても驚いた様子で、私のそばへ来て、「そういう魔法を、よその人に見せてはいけないよ。」と言いました。
その時初めて、私は自分が使っている力が、魔法というのだと知りましたし、なんだか自分が、知らず知らず、父に対して悪い事でもしていたような、もうしわけない気持ちになったのです。
でも、あとで母に、そのことを話すと、母は、「セイヴァン(これが父の名前です)はあなたを守りたいのよ。それに、私はあなたが魔法をつかえる事を、とても喜んでいるの。だから、心配することはないのよ。」と言いました。
それで私は、すっかり安心することができました。
私が五歳の時、(ひどい雨の日でしたが)父が大けがをして、職人たちに担がれて家に帰って来ました。仕事場の事故に巻き込まれたのだと、後で近所のキャリスンおばさんから聞きました。父はずっと眠ったままで、ずいぶん具合が悪いことは私にも分かりました。間もなくして、母は、私をキャリスンおばさんに預けて、父を荷馬車に乗せて、あわただしくどこかへ出かけて行きました。キャリスンおばさんによると、遠くの町に、父を治してくれそうな良いお医者が、見つかったらしい、という事でした。でも、しばらくすると、見ず知らずの、優しそうなおばあさんが私を訪ねてきて、「私はあなたが赤ん坊の頃に、いっしょに暮らしていた者です。あなたの両親は、二日前にはやり病でこの世を去りました。あなたはこれから、私と一緒に暮らさなければなりません。」と伝えられました。
そのおばあさんが、私を十歳まで養育して下さり、母の代わりに魔法を教えて下さった、ヌマ様なのです。
あ、そして、私の母の名前は、ニールスエスタといいます。


つづく

2015年11月|Kobitoのお絵描きブログ .737.736.734.733.732.731.729.726.725.723