きょうは、詩のような、童話のような(詩童話と呼ぶべきか)、短いお話が書けたので、挿絵を添えて、紹介します。

一般的に、詩の書き方と、童話の書き方には、明確な違いがありますが、まれに、詩の書法を用いて童話を書く作家がいます。
例えば、私が最も尊敬する童話作家の宮沢賢治の作品は、すべて詩と呼んで差支えのないリズムと言葉の響きの豊かさを持っています。
あれだけ長い文章を、詩的な美しさを保ちながら完成させることができるというのは、本当にたぐいまれな才能だと思います。
ですから、私も未熟ではありますが、賢治に倣(なら)って、物語を書くときは、文章に詩心を込めたいと思いながら書くようにしています。
具体的に、詩心とは何かと考えてみると、それは先ほど言った、「リズムと言葉の響きから来る感動」、それから、「言葉の意味そのものから来る感動」、この二つに大別されると思います。
私がより重視しているのは、前者の、リズムと響きから来る感動です。これは、言葉の意味がどうであれ、リズムと響きが優れていれば、読み手を感動させることができる、という、ある種魔術的な技巧です。ただし、この感動を読み手が味わうには、その人自身にも言葉に備わったリズムと響き(さらにはイントネーションのメロディ)を感じ取る、音楽的な鋭い感性が必要になります。
一方で、言葉の意味そのものが持つ感動が主な鑑賞ポイントの詩は、詩以外の文章と同じように、書き手が手持ちの語彙(ごい)を活かすだけで書くことができる、比較的簡単な詩であると言えます。

音楽的な技巧と、意味で楽しむ技巧を分けて論じましたが、これは完全に分離できるものではなく、どんな文章にも、両方の要素が含まれていて、含まれる比率が違うだけです。
普通の文章を詩にする場合、言葉を純化して行くわけですが、「音楽的な感動」と「意味による感動」、どちらの効果を重視して行くかは、書き手の好みによります。

私の認識では、

普通の文章→意味で楽しむ技巧の詩→音楽的な技巧の詩

という順に、言葉の味わい深さが増していくと同時に、製作する難易度も上がって行くと思っています。

私が冒頭で述べた、「詩の書法を使って童話を書く」というのは、音楽的な技巧を使って書く、という事ですから、童話自体が詩としての感動も備えていることになるわけです。

さて、それでは、話を戻して(こんなに一生懸命な前振りの後で恐縮ですが)、私の童話を読んで下さい。


挿絵については、お話の内容に沿うような、雰囲気を持たせることができたように思います。


『すずめがけんかした』

駅のホームで、
すずめのけんかがはじまりました。
取っくみあって、転げまわって、
しまいに、一羽がぱっと飛び立って、
ちょっとはなれた、仲間のところに行きました。
のこされたすずめには、やさしいすずめが
ちょんちょんとはね寄って、
いたわるように、みつめていました。
だけど やられたすずめは、プイとどこかに
飛んで行って、いたわったすずめも、
間もなく仲間のところにとんで帰りました。
そんなこんなも、私の勝手な空想だったのでしょうか。



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「乞いつつ歩く」

森の木々の梢(こずえ)から
梅雨明け間近の青空や、
とおくのパステル色した山々の
うしろで気高く光っている入道雲や
明るい表通りの
並木の陽を浴びてすきとおった
重なりあう若葉の鮮やかさや、
そういう
あらゆる詩となる自然の業(わざ)に、
おそれ乞いつつ私は歩く。


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「光とあそぼう」

光とあそぼう
夜が 来るまえに
夜が来たら
星とあそぼう
朝が 来るまえに
朝が来たら
君とあそぼう
あわい 明け方の
夢で見たように




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 きょうは、オリジナル童話『子猫のマーサ』シリーズの、7番目の新作を書いてみたので、ご紹介します。
タイトルは、「マーサにお見舞いが来た日」です。

挿絵は、このお話用に描いたもので、黄土色に見える部分は、実は金色が塗ってあります。金色を使うと、光の加減で、絵の雰囲気が変わって見えるので、とても面白いです。
それでは、挿絵の下から、お話をお楽しみ下さい。


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「マーサにお見舞いが来た日」

マーサは今朝から、少しお熱で寝ています。
お母さんは、「今日一日、おとなしくしてね。」と言って、マーサのほてった頬をなでると、あごまでやさしく毛布をかけてくれました。
マーサは、お熱のときに、いつもお母さんが作ってくれる、すりリンゴが楽しみだったので、
「あとで、すりリンゴを持ってきてね。」と言いました。
「ええ、冷蔵庫で冷やしてくるね。」
そう言って、お母さんは子供部屋の戸を閉めました。
それでマーサは安心して、うとうと眠りました。
昼ごろになって、マーサが目を覚ますと、ベッドのすぐ横の、開け放たれた窓から、熊のぬいぐるみのマーチが、顔をのぞかせていました。
マーチの後ろで、クロードの耳が動くのがちらっと見えたので、マーサはうれしさに手をすり合わせて、
「私、お見舞いを待ってたのよ。入って来なさいよ。」
と声をかけました。
マーチは、毛むくじゃらの片手をあげると、
「風邪がうつるから、入りたくないもん。」
と言いました。
マーサは、どうしてもマーチを抱きしめたかったので、
「だいじょうぶよ。私、息とめてるもの。」
と言いました。
でも、マーチは、
「僕がいるあいだじゅう、とめてられないもん。」
と、ばかにしたように答えました。
マーサはしばらく考え込みましたが、やがて笑顔になると、
「じゃあ、あんたと私で、代わり番こにとめればいいのよ。」と、言いました。
「マーサはおしゃべりだから、僕はずっと、息をとめてなきゃならないもん。」
マーチが両手で口を押さえて、いやいやをしたので、マーサはなんてかわいい子熊だろうと思って笑いました。
「あんた、お花を持ってきた?」
「何のお花?」
「河原のお花よ。タンポポとかよ。」
「タンポポは牛さんが食べちゃった。」
「じゃあ、レンゲよ。」
「レンゲは山羊(やぎ)さんが食べちゃった。」
「じゃあ、ス・・・、スレミよ。」
「スレミは僕が食べちゃった。」
マーサは足をバタバタさせてきゃっきゃと笑いました。
そこへ、お母さんが、「さあ、冷やしたすりリンゴですよ。」と言いながら、部屋に入ってきました。
「お母さん、マーチの分も、持ってきた?」
お母さんは、マーサが指さす方を見て、窓から顔をのぞかせているマーチを見つけました。
「まあ、いらっしゃい。お見舞いに来ていたの。」
お母さんは、そう言ってマーチを抱き上げました。
「クロードは?」
マーサがまた、窓を指さすので、お母さんはそっと外に顔を出してみました。すると、クロードはちょうど、庭のしっくいの垣根を飛び越えて、大あわてで逃げて行くところでした。お母さんは、「クロードは逃げちゃったようよ。」と言って、手を伸ばしたマーサの横に、マーチを添い寝させました。
マーサはマーチをぎゅっと抱きしめて、耳のあたりをなで付けながら、「おかしなクロードね!」と言いました。
マーチは、「まったくね!」と言うように、ばんざいをしたままうなずきました。

おしまい





 最近、ホームセンターで、苔(こけ)だけが植えてある小さな植木鉢を見かけて、ちょっと高かったんですが、思い切って買ってみました。
その苔は、正式名称をホソバオキナゴケといって、芝生のような細い葉が密集して生える、普段身近では見かけない種類です。

これをきっかけに、苔に興味がわいて、いろいろ調べたところ、コウヤノマンネングサという、小さな杉の木ような苔があるのも分かりました。

この、ホソバオキナゴケと、コウヤノマンネングサを組み合わせると、ミニチュアの風景が作れるのではないかと思ったので、さっそくコウヤノマンネングサもネットショップで購入して、ジオラマ風の盆栽を作ってみる事にしました。

その結果が、この写真です。

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実際は、15センチくらいの容器の中に植えてあるんですが、広々した風景のように思えて来ませんか?
私は、こういう、小さな世界が大きく見える、ミニチュアの世界が大好きです。

あの穴には、ウサギやたぬきが住んでいて、ひょっこり顔を出しやしないかな、とか、あのけもの道を、鹿がひょいひょい歩いて行きやしないかな、なんて想像するのは、たわいないけれど、とても楽しい時間だと思いませんか。



 先月このブログで、「自民党が作成した安保関連法案のPR動画を作り変えたパロディ動画」を紹介しましたが、その後、自民党が新たに「PR動画パート2」を公開したので、パロディの製作者もそれに対抗する形で、第2弾のパロディ動画を公開しました。
今日はその、パロディ版の第2弾をご紹介します。

今回も、自民党の主張に対する鋭い指摘は健在ですが、ロボットを相手に会話するという風刺の効いたコミカルな面が多く、7分以上を飽きずに見られるよう工夫を凝らした内容になっています。






 きょうは、うちの近所の神社を守護する、狛犬(こまいぬ)の写真をご紹介します。

狛犬は、たいてい二匹が通路や階段を挟んで対になって並んでいます。
でも、その二匹の姿と形は、実は同じではないのです。(同じな場合もあるそうですが・・・。)
飛鳥時代に日本に伝来した時は、二匹はどちらも獅子の姿をしていたそうですが、平安時代頃には獅子と狛犬の像になり、現在では、獅子と狛犬を併(あわ)せて「狛犬」と呼ぶようになったそうです。
つまり、正確には一匹が狛犬で、もう一匹は獅子なわけです。

では、↓の写真の、どちらが獅子で、どちらが狛犬か、分かりますか?



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右に置かれた石像




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左に置かれた石像


ネット辞典のWikipediaには、こう書いてあります。

>一般的に、獅子・狛犬は向かって右側の獅子像が「阿形(あぎょう)」で口を開いており、左側の狛犬像が「吽形(うんぎょう)」で口を閉じ、古くは角を持っていた。

どうやら口を開けた右側が獅子で、口を閉じた左側が狛犬らしいです。
う~ん、違いが分からん・・・。
それに、どうして狛犬は、子狛犬を前脚で押さえているんでしょう?
子狛犬は、嫌がるでもなく、まんざらでもない顔をしているようにも思えます。

森に囲まれた、人気のない神社で、狛犬と向き合うのは、何とも神秘的な気分です。
みなさんも、お近くに神社仏閣があれば、狛犬を探しに出かけてみてはいかがですか?


お早うございます。
きょうは、ファンタジー小説、「魔法使いサキの物語」の、第10章・第2話を書き進めてみたので、ご紹介します。

挿絵には、これから物語の流れに関わって来るであろう、新たな登場人物が描かれています。

それではさっそく、挿絵の下から、物語の続きをお楽しみ下さい。


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ー魔法使いサキの物語ー第10章・第2話

ダンケルは「ともかく南の検問所へ行ってみようぜ。」と立ち上がって表に出ようとしました。
すると、「その必要はない。」と、入り口からどやどや覆面をした数人が入ってきて、ダンケルの前に立ちはだかりました。
それが先刻、バンサの丘で出くわした野盗たちだったので、ダンケルは飛びのいて拳闘の構えをとり、野盗たちもいっせいに腰の短剣を引き抜いてダンケルに突きつけました。
「まあ待て、これには事情があるのだ。」
野盗のうちの一人がそう言って、覆面を解き、黒髪のほう髪と左右の口元に髭をたくわえた風変わりな顔をさらしました。
「わしは魔法庁の魔法開発局の技師長のヘブだ。お前たちがスナクフから預かったものを引き取りに来た。」
意外な話に、ダンケルとマイネはぽかんと口を開けましたが、マイネが気を取り直して、
「さっきは僕らを襲って荷を奪おうとしたじゃないか。」
と問い質しました。
「あの時はまだ、正体を明かすわけにいかなかったのだ。」
ヘブは仲間に短刀をしまうよう指図すると、
「革命ののろしが上がった今こそ、包み隠さずにこの国の状況を語ろう。」
と言ってダンケルに歩み寄ろうとしましたが、彼がこぶしを固めて再び身構えたので、ヘブは両手を胸の前に上げて戦う気がない事を示しながら、
「スナクフはアモス王の暗殺を企てたかどで失脚した。そしてアモス王は、この国にいるすべての魔法使いを国外追放にするよう布告した。わしらはつい先ほど、都からの伝令でそれを知ったのだ。検問所がもぬけの殻なのも、我々よりも早く伝令を受け取ったからだろう。」
と言いました。
「俺たちが都を離れて、五日しか経っていないんだぞ。そんな大それたことが起こるもんか。」
ダンケルはあいかわらず構えを解かずに言い返しました。
ヘブは懐から一枚の紙を取り出して、
「見ろ、これが二日前に発せられた布告だ。」
と言ってダンケルにさし出しました。
ダンケルは用心しいしいそれを受け取ると、文面にさっと目を通し、文の最後に押された王家の刻印を確かめたうえで、それを後ろのマイネに振り向かずに渡しました。
布告を読んだ二人が、少しおとなしくなったので、ヘブは諭すように、さらに言いました。
「主要な同志以外は、この革命の決起について知らされていない。しかし、我々の闘争の目的を知れば、たとえ国外に逃れていようとも、多くの魔法使いが必ず馳せ参じて我々と共に戦ってくれるはずだ。」
「スナクフ様もあんたたちの計画に加わっていたのか。」
ダンケルが問いました。
「いいや。だが、王家につくか、我々につくか、最後まで迷っていたようだ。わしらは王の暗殺にスナクフを利用したが、そんなことはスナクフなら予知の魔法で簡単に暴(あば)くことができたはずだからな。」
すっかりこぶしを下ろしたダンケルを見て、ヘブはいよいよ胸を張って言いました。
「王の暗殺は失敗したが、革命が終わったわけではない。わしらの目的はな、この国に、魔法使いを指導者とする新たな国家を樹立し、魔法使いとそうでない者たちが真に平等に暮らせる世界を実現することなのだ。」
ダンケルがマイネと顔を見合わせたので、ヘブは、
「わしらと来い。都の周辺にはすでに、革命の同志が集結しているはずだ。そして、お前たちがスナクフから託されたミステル(魔法の道具)こそ、この革命をより確実な成功に導く光明となるだろう。」
と言って、二人に手を差し伸べました。

つづく





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