昔お世話になった人に、思い立って贈り物をしたんですが、どうも相手は私の事をうろ覚えだったようで、私も相手もぎこちなかったですし、肝心の贈り物(当時の恩にちなんだ品)も、あまり喜ばれなかったように思います。

自分がいつまでも恩に感じているからといって、相手が覚えているとは限らないから、自分の思い出の中で大切にしているだけの方が、良い場合もあるんでしょうね。

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【歓迎されなかった贈り物】




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きれいごとを言うことで、人から好かれている人に、また引っかかってしまった。
私は聞かれるままに、自分の貧しい生活のことを話したけれど、私がその人の生活のことを聞くと、その人は私との縁を切りました。
そういう狡いところのある人なんじゃないかと、私は疑っていたから、自分のことを正直に話して、試した面もあるのです。
そして、やっぱりそういう人だったので、私はひどく傷ついてしまった。
どうして、世の中には、こんな人が多いのだろう。
病の辛苦の中にありながら、人々に希望を分け与えていたあの人のような人は、
もう本当にどこにもいないんだろうか。

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古い洋楽(ロック)が好きで、よく海外アーティストの70年代のライブコンサートの音源を聴くんですが、欧米で開かれたコンサートの音源と、日本で開かれたコンサートの音源では、決定的に違う部分があります。
日本でのコンサートは、ほぼ例外なく、一曲目から、観客の大部分が手拍子を行ないます。それも、一糸乱れない大音量で。
欧米でのコンサートでは、時おり手拍子が起こることはありますが、それは日本ほど統率されたものではなくて、たいていはひとしきりつづいた後で、次第にまばらになって止んでしまいます。
日本人は手拍子がものすごく好き(もしくは、それが応援になると思っている)らしくて、叩ける曲が続く限り、コンサートの間中、延々と叩こうとします。
それが、多くの日本人のコンサートの楽しみ方なのでしょうが、一方で、プロのミュージシャンが生み出している微妙なリズムやテンポの変化や、彼らが歌や楽器で表現している繊細な響きやニュアンスが、素人ののっぺりとした手拍子によって聴き取りづらくなる、という弊害が生じている事が、録音された音源で聴くとよく分かります。
欧米の聴衆が、なぜ一体になった手拍子を長時間持続的に行わないか。ある日本人が、海外のコンサートの音源を聴いた感想として、「欧米の聴衆の手拍子は不揃いで、リズム感も悪いように感じる。その点、日本の聴衆は多くの人が一体になって正確なリズム感で叩けていて素晴らしい。」とブログに書いていましたが、それは多分、欧米の聴衆が、日本人のように延々とコンサートの間中、(叩きすぎて手が痛くなったなんて事まで言いながら)手を叩き続けるという、演奏に参加する行為を楽しむ方向性とはちがう楽しみ方をしているからだと思います。つまり、欧米の聴衆は、過度の手拍子が音楽のニュアンスを損なう事を知っていて、それよりは、適時声援や指笛を送ることでアーティストを鼓舞するという方法を選んでいるのではないかなと思うのです。
ただ、スウェーデンなど北欧でのライブ音源を聴くと、聴衆がしきりに一体となって手拍子を行なっている様子が聴き取れるので、手拍子を好む傾向は、日本だけではなく、他の地域にもあるようです。
私は、演奏の細部のニュアンスまで聴き取りたいので、イギリスやアメリカを中心とした手拍子にこだわらない聴衆の観覧スタイルが好きです。

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【手拍子と演奏家】



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こんなことはありませんか。
「思いやりがない」とか、「自分の事ばかり考えている」と、家族からよく言われる子が、褒められたいと思って、おこずかいを貯めて、家族にプレゼントを贈ったけれど、それを大事にしてもらえなくて、腹を立てて、「感謝してるの?」と聞いたら、「お前が好きでやった事だろう。感謝なんかする必要はない。」と言われて、頭に来てその家族を叩きました。
家族はその子を叩き返して、「プレゼントしてくれと頼んだか?お前が勝手にやった事だろう。感謝するかどうかはこっちの自由だろうが。」
と言いました。
「親切でしたことなんだから、ありがとうくらい言ってもいいじゃないか。」
その子が言うと、家族は、
「そんなこと言う必要はない。お前が勝手にやった事なんだから。」
と言うのです。
こんな悲しいこと、あなたも身に覚えがありませんか。


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