アメリカの伝統音楽、ブルースに魅せられた天才中学生ギタリスト、蒼井鳥夫(あおい・とりお)が主人公の小説、『ブルース少年』の、第11話が書き上がったので、ご紹介します。
この小説は、今回の第11話で完結です。

また一つ、作品を完成させることができて、とても嬉しいです。

それでは、さっそく、描き下ろしの挿絵と一緒にお楽しみ下さい。


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ブルース少年
(11)天才少年、師匠を見舞う

その週の初めから終わりにかけて、ぼくは何度も高谷さんの家に電話をかけてみたのだけれど、高谷さんも奥さんもどこかへ出かけているらしく、一度もつながることはなかった。
ぼくはそれが何となく、気になったものだから、日曜日の新藤との練習を取りやめて、電車で立川まで行って、高谷さんのお宅を訪ねてみた。
すると、家の前に、見た事のないオレンジ色のフォルクス・ワーゲンが停まっていて、奥さんが大きな手提げ袋を持って助手席から降りようとしているところだった。ぼくが「お久しぶりです。」とあいさつすると、奥さんは、「あれ、来てくれたん。いま鳥夫君のこと話しよったとこなんよ。」と言って、運転席から降りた、カンカン帽のおしゃれな男の人に、「ほら、これが鳥夫君。お父さんの一番弟子よ。」と、ぼくを紹介した。
その人は、軽く会釈をしながら、「初めまして。高谷公吉の息子の響(ひびき)といいます。」と名乗って、にかっと白い歯を見せて笑った。
高谷さんが、身につけるものに一切構わない人だったので、黒革のジャケットとグリーンのジーンズを着こなした響さんは、何だか全然似てないような気がしたけれど、その繊細そうな笑顔だけは、確かに高谷さんの面影が重なって見えた。
奥さんは、ぼくに家に上がるように勧めながら、「あの人ね、いま入院しとるんよ。」と言った。
ぼくが驚いて、「高谷さん、どこかお悪いんですか?」と聞くと、奥さんは、「お風呂場でのぼせて、気を失ったんよ。たまたま、私がのぞいたから良かったけど、危なかったんよ。」と、その時のことを思い出したらしく、最後の言葉に、少し力を込めて言った。
そして、戸惑うぼくを居間の座卓につかせると、戸棚から急須と湯呑を持って来ながら、
「鳥夫君には、風邪って言っとったけどね、あの人、正月にも倒れて、救急車で運ばれたんよ。」
と打ち明けた。
ぼくが返事もできないでいると、奥さんは、てきぱきと三つの湯呑にお茶を注ぎながら、
「お酒の飲み過ぎで、肝臓が弱っとるのもあるんやけど、もう年なんよ。仕方ないんよ。」
と、ぼくに言い聞かせるように言った。
「昨日まで、上野の病院に入院してたんだけど、母が見舞いに通いやすいように、近くの病院に転院させてもらったんだよ。」
と、響さんが教えてくれた。
ぼくは、高谷さんの居る病院と、病室の部屋番号を聞いて、奥さんから借りたメモ紙に書き込むと、「これからお見舞いに行って来ます。」と、お茶を少し頂いてから席を立った。
響さんが、
「車で送ろうか。」
と言ってくれて、奥さんも、「乗せてってもらい。喜ぶけん。」と言って、響さんと一緒にぼくを送り出した。
車で病院に向かう途中、響さんは、自分がソロのミュージシャンだという事、高谷さんの影響で音楽を始めた事、最初はブルースやフォークを演奏していたけど、それでは人気が出ないので、今はポップス寄りのロックを演奏している事などを話してくれた。
「ぼくがブルースとは別の道に進んだから、父は内心がっかりしただろうな、と思うんだよ。だから、鳥夫君が父にブルースを習いに来てくれて、ぼくも嬉しい。」
響さんは、そう言ってくれたけど、ぼくが高谷さんからギターを習っていたのはほんの半年くらいで、ぼくが自分の都合で連絡をしなくなった間に、高谷さんは体調を崩して大変なことになっていて……。
「父はああ見えて、人付き合いが苦手だから、弟子をとって教えるなんて、本当に珍しいんだよ。」
ぼくは、何か答えなきゃ、と思ったけど、何にも言えなかった。しゃべったら、涙が出そうだった。
やがて、病院に着くと、響さんは、
「ぼくはさっき会ったばかりだから、鳥夫君だけで見舞いに行ってあげなよ。」
と言って、ぼくを正面玄関で降ろして、車を駐車場に停めに行った。
ぼくはメモした病室の番号を、何度も確かめながら、エレベーターに乗って、不安な気持ちで五階の一般病棟にのぼって行った。
高谷さんの病室は、エレベーターを降りてすぐの、ナースセンターの向かい側にあった。ぼくが病室に入ると、入り口近くのベッドに、水色の病衣を着た高谷さんが、点滴の管を腕につけられて、いかにも所在なさげに寝かされていた。
「あれ、いらっしゃい。今日は学校休みか。」
高谷さんは、灰色の髪がぼさぼさに伸びて、それに以前よりもやせていたので、ぼくには最初、本当にこの人が高谷さんなのか、見分けがつかないくらいだった。
でも、優しい声は高谷さんその人だったので、ぼくは、
「今日は日曜です。」
と教えてあげた。
「そうか、病院にいると、日にちや曜日が分からなくなるからな。」
高谷さんは、そう言って、ぼくに部屋のすみの椅子を持って来て、座るように勧めた。
ぼくが、
「具合はどうですか。」
と聞くと、
高谷さんは、悲しそうに笑って、
「死にたくないなら、禁酒だって。情けないね。俺ももう年なんだよ。」
と、奥さんと同じ言葉を、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
ぼくは、何と答えたらいいか分からなくて、うつむいてしまった。それに、高谷さんが、ひとまわり小さくなったような気がして、それが無性に悲しかった。
「なんだ、元気がないじゃないか。お前が入院してるみたいだぞ。」
高谷さんは、ぼくを心配して、神さまみたいにおだやかな声で話しかけてくれた。だから、ぼくはだんだん気持ちが落ち着いてきて、「十一月の文化祭で、吹奏楽部とブルースを演奏することになったので、高谷さんに見に来てもらえたらと思って。」
と、思い付いた事を話した。
「いいね。退院して、歩けるようになったら行くよ。会わない間に、ずいぶんと腕を上げただろうな。顔つきで分かるよ。」
高谷さんが嬉しそうに言うので、ぼくは高谷さんと連絡を取らなくなって以降、ぼくに起きたいろいろな事、戸敷さんとの偶然の出会いで実現した初めてのシングル盤作り、英語の石井先生から頂いた、授業の中でのブルース演奏会の時間、わがままな新藤との、まだるっこしいけれど効果的なハーモニカ練習の方法の事などを、求められるままに話し続けた。
そして、文化祭で演奏する曲目のところまでを話し終えると、高谷さんは
「よかったなあ。鳥夫には、俺よりもいい先生がたくさんいるんだから。」
と言って、満足そうにうなずいた。
そして、しばらく黙り込んでから、
「鳥夫くらい、本物のブルースに迫れる日本人はいないよ。俺は、鳥夫の演奏家としての成長が、本当に待ち遠しいんだ。」
と言った。
ぼくは、高谷さんの期待の大きさを感じて、
「自信がないんです。まだ、真似ばかりしているし。」
と、弱音を吐いた。
「真似かどうかは、一番大切なことじゃないんだ。」
高谷さんは、あの大きな力強い目で、ぼくを見据えた。そして、
「もし、現代に、ロバート・ジョンソンの歌や演奏を、完全に再現できる人が現れたら、おれは何をおいても聴きに行くよ。」
と言った。
ぼくは、それを聞いて、やっぱり高谷さんよりいい先生は、いそうもないな、と思った。
そして、高谷さんに、早く良くなってもらって、ぼくの精いっぱいのブルースを聴いてもらいたいな、と思いながら、
「ぼくもです。」
と胸を張って答えた。



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【B.B.キング愛用のギター、ギブソンES-335】


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あとがき

自分の好きな音楽ジャンルをテーマにした小説を書きたいと、かなり以前から考えていたんですが、具体的なプロットを練っていたわけではなく、ある日ふと気持ちが入って、行き当たりばったりで書き進めた、それが『ブルース少年』という作品です。

書きはじめの勢いで最後まで走り抜こうとしましたが、完成の手前で、少し息切れして筆が滞ってしまいました。でも、最後まで思い入れを込めて書き上げることができたと思います。

文化祭という大きなイベントを目前にして筆をおいたのは、意図的にそうしました。
この小説で書きたかったのは、主人公鳥夫の成功体験ではなく、鳥夫がブルースという音楽を真に自分のものにする、その心の成長の過程だったからです。

今回の成果を、これからの作品作りにまた生かして行きたいと思います。
最後までお読みいただき、まことにありがとうございました。

Kobito


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弱冠十三歳の天才ギタリスト、蒼井鳥夫(あおいとりお)が主人公の小説、『ブルース少年』の、第10話が書けたので、ご紹介します。

どの作品でもそうですが、書きはじめた時は、かなりハイペースで筆が進むんですが、完結に近づくほど、書き進めるのがとても難しく感じられるようになって来ます。
この、“終わりにたどり着く難しさ”は、物語を書くことを趣味にしている人の、共通の悩みではないでしょうか。

今回の『ブルース少年』も、ゴールラインはすでに視界に入って来ているんですが、そこまでたどり着くことのなんと苦しいことか・・・。
でも、ゴールまでたどり着くことができた時の喜びは、マラソンランナーと同じように、とても大きいので、それを励みに、一足ずつ歩みを進めて行きたいと思います。

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ブルース少年

(10)天才少年、友の先生になる

ぼくと新藤は、それから毎日のように、放課後にお互いの楽器を持ち寄っては、学校近くの公園や、通学路の途中にある小川にかかった橋の下に行って、練習を繰り返した。
ブルースの練習仲間ができたのは、すごく嬉しかったのだけれど、困ったのは、ハーモニカの音が、アコースティックギターに比べて響きやすいので、本気を出して吹くと、近所から苦情が出そうなくらい騒々しくなってしまう、という事だった。
そこでぼくらは、話し合ったすえに、ちょっと遠いけれど、三鷹から調布まで自転車で四十分ほど走った先の、多摩川のニケ領宿河原(にかりょうしゅくがわら)という堰(せき)まで行って、しぶきをあげて流れ落ちる滝の音に、楽器や歌の騒音を紛らせながら練習をする、という方法を思い付いた。
これは、試してみると大正解で、ぼく自身、初めて手加減せずに力いっぱい歌を歌い、ギターをかき鳴らすことができたし、新藤の滅茶苦茶な、ただ好き勝手に吹いているだけの演奏で、誰にも顔をしかめさせなくて済んだし、夏場は特に、滝のしぶきが程よい涼しさを土手まで運んで来てくれたので、広々とした緑の多い景色と相まって、とても気持ちが良かった。
ぼくは練習の合間に、一人でチャルメラのメロディを吹きながら、行進の真似ごとをしている新藤に聞いた。
「そういえば、お前はどうして他の楽器じゃなくて、ハーモニカをやろうと思ったんだ?」
新藤は、ぼくのギターのネックのフレットを、一つずつ指さして数えながら、
「ギターとかピアノは、音が多過ぎるんだよ。俺の頭で、全部覚えられると思うか?」
「やってみなきゃ分かんないよ。」
「分かるよ。俺には、このハーモニカの、穴が十個くらいのが、ちょうどいいんだ。」
そう言って、新藤は唯一全曲通して吹けるチャルメラを、フォー・ビートのスイングするリズムで吹き始めた。
新藤は、確かに暗記力には乏しいけれど、とても魅力的なグルーヴ感を持っている。
だけど、それは今はまだ、宝石の原石みたいなもので、よほど注意して聴かないと、ぼくの感じているような魅力には、誰も気が付かないに違いなかった。
ぼくは以前、新藤に参考にしてもらおうと思って、ハーモニカの演奏が含まれているいろんなジャンルのCDを十枚くらい、プレイヤーと一緒に貸していたことを思い出して、
「気に入った演奏があったか?」と聞いてみた。
でも、新藤は浮かない顔で、
「無かったなぁ。」
と答えた。
貸したCDには、戦前ブルースから、日本のポップスまで、幅広いスタイルのハーモニカ奏者を揃えていたから、誰にも惹かれないのはどういう事だろうと思って、
「お前はどんな演奏が好きなんだ?」
と聞くと、新藤は、
「心に響く演奏が良い。」と言った。
「お前の心に響く演奏って、どういうのだ?」とあらためて聞くと、新藤は「それは聴いてみないと分からない。」と答えたので、ぼくは、途方に暮れてしまった。だけど、音楽の好みって、確かにそういうものなんだよな。
新藤が、楽譜の読み方や教則本の内容が、ちっとも頭に入らないと相談してきたので、ぼくは「それなら、誰かが目の前で、吹き方の手本を示しながら教えないといけないな。」と答えた。
新藤は、ふんふんとうなずいて、
「じゃあそうしてくれ。」
と言った。
ぼくは、新藤のハーモニカの先生を引き受けるなんて、一度も約束してないのだけれど、以前七海にそう吹聴してしまった新藤は、「お前だって、早く俺とブルースを演奏したいだろ。」というかなり強引な理屈を持ち出して、ぼくを楽器屋まで引っぱって行くと、一番安いハーモニカをぼくに買わせて、まず吹き方をぼくに習得させてから、それを自分の目の前で実演させる、という何ともまだるっこしい手法で、ハーモニカの吹き方を覚え込もうとした。
ところが、このおかしな手法が、新藤には最も適した指導法だったようで、(本人いわく、『鳥夫が習得するまでの途中経過を見られるのが、一番参考になるんだ。』とのことだった。)今までのでたらめさがうそのように、フレーズや技巧をとんとん拍子に覚えていって、演奏できるレパートリーも、ごく短い曲から、より演奏時間の長い曲へと、日に日にステップアップして行った。
吹奏楽部の顧問の西野先生から、秋の文化祭の出し物で、吹奏楽部とギターで共演してみないか、という誘いを受けたのは、ちょうどこの頃だった。
「毎年、親御さんに楽しんでもらうために、吹奏楽の定番ではない曲に取り組むようにしているんだけど、ロックとかポップスとか、中学生でも演奏できる、譜面のある曲で、希望の曲があれば、それを演奏するよ。」
との事だったので、ぼくはもちろん、二つ返事でOKした。
B.B.キングの、オーケストラをバックにした演奏と同じような豪華さを、ぼくもいつかは体験してみたいな、と、常々思っていたのだ。
採譜はぼくが、アレンジは西野先生が担当することになって、ぼくは曲目以外の要望として、新藤を演奏に参加させてほしい、と伝えた。
「新藤?あいつ何か楽器をやってるのか?」
西野先生は、普段の新藤のいい加減さを知っているので、あからさまに嫌そうな顔をした。
ぼくは、自分が新藤に楽器を教えている事や、文化祭までには安定した演奏ができるようになりそうだ、ということを話して、ぼくが責任を持つならという条件で、新藤が参加することを認めてもらった。
教室に戻って、そのことを新藤に伝えると、新藤は「いよいよ俺も、スポットライトを浴びる時が来たんだな。」と、妙に気取った言い方をして、さっそく七海に、「大ニュース!」と声をかけて自慢しに行った。こういう気負わない気楽さが、新藤の演奏者としての強みなのかもしれないな、とぼくは思った。
夏休みに入る前に、ぼくは文化祭で用いる曲、B.B.キングの“スリル・イズ・ゴーン”の、ギター、ベース、ストリング、打楽器の採譜を完成させて、夏休みの前半は堰での新藤との練習に力を入れ、西野先生のアレンジが仕上がった夏休み後半は、音楽室での吹奏楽部との合奏練習と、堰での練習を並行して行うという、けっこうハードなスケジュールをこなして行った。
やがて、夏休みも終わり、ぼくの準備は万端、新藤もかなり順調で、簡単なアドリブなら随所に入れられるくらいに腕を上げて来ていた。
ぼくはふと、高谷さんにも、ぼくらの演奏を聴きに文化祭に来てもらいたいなと思って、二月に鶏つくね鍋をご馳走になって以来、久しぶりに、連絡を取ってみる事にした。

つづく

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【ニケ領宿河原堰】


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中学生の天才ギタリスト、蒼井鳥夫(あおい・とりお)が主人公の小説、『ブルース少年』の、第9話です。

今回は、鳥夫の学校生活の雰囲気を、できるだけ読み手に伝えたくて、かなり長い文章になってしまいましたが、ご自身が中学生だった頃の学校生活を思い出しながら、楽しんでもらえると嬉しいです。


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ブルース少年

(9)天才少年、友の恋を歌う

石井先生は、放課後や休み時間に、ぼくが英語のことで質問に行くと、こころよく迎えてくれて、ぼくが疑問点を理解できるようになるまで、辛抱強く教えてくれた。
「ぼくには、英語をマスターするように君をたきつけた責任があるからね。それに、君の上達ぶりを、時々クラスのみんなにチェックしてもらえば、みんなも英語の事が、もっと好きになってくれるかもしれないし。」
石井先生はそう言って、その後も英語の授業の時に、折を見てぼくにみんなの前で演奏する機会を与えてくれた。
そして、演奏の前後には、きまって英語歌詞の内容を、中学一年生でも分かるように、やさしく解説してくれたのだけれど、これが、直訳や文法の説明だけではなく、曲が作られた当時の風習や、時代背景など、参考になる話を交えた、とても興味深いものだったので、みんなが惹き込まれたのはもちろん、ぼくがブルースをより深く理解する上で、どんなにありがたかったか知れなかった。
そんな石井先生の授業に感化されてか、しだいに新藤がブルースに興味を持ち始めて、「おれ、ハーモニカやりたいわあ。」と言いながら、ぼくが弾き語りをしている横で、自由奔放な踊りを披露するようになった。
それは、身振り手振りでパントマイムをしているような、こっけいな踊りだったのだけれど、みんなは笑いながらも、その踊りを毎回楽しみにするようになったし、ぼくはぼくで、新藤が躍り出さずにはいられない演奏を心掛けるうちに、リズム感に力強さや、感情を乗せることが、以前にも増して、意識的にできるようになっていった。
そんな充実した日々が、駆け足に過ぎて、早くも六月に入り、中学生になってはじめての衣替えがあって、間もなく、気がもめる長い梅雨がやって来た。
気がもめるというのは、この時期、雨が心配で、家からギターを持ち出せなかったり、屋外でギターの練習をするのが難しくなるので、いつも天気予報とにらめっこしていなければならなくなる、という意味だ。
その日も、朝からしとしと、止みそうで止まない雨が降り続いていた。
ぼくと新藤は、その週の音楽室の掃除当番で、音楽の西野先生から、準備室の隣の倉庫を、年末の大掃除に向けて、少しずつ片づけ始めておいてくれ、と頼まれていた。
倉庫の、雑然とした埃っぽい部屋を、腕組みして見回した新藤は、「どうせなら、ダスキンみたいに徹底的にやろうぜ。」と、部屋の壁に並んだスチール棚から、折り重ねて詰め込まれた段ボール箱を、一つ一つ強引に引っぱり出しはじめた。ぼくは、「そんな時間ないよ。」と面倒くさそうに言ったけれど、新藤は単に、面白い備品がないか調べるのが目当てだったらしく、段ボール箱の中の、中身が空のマラカスや、ゴムのゆるんだカスタネットや、色々書き込みのある古ぼけた楽譜の束を、「二束三文ですなあ。」と、鑑定士よろしく評価しては、ぼくの方に次々と押しやりはじめた。
ぼくは、箱の外側を乾いた雑巾で拭いては、元通りの場所に戻す、という損な役回りを、いつの間にか任される羽目になった。
新藤は、窓際のスチール棚の天板に載せてある、ひときわ色あせた小ぶりな段ボール箱に目を付けると、「あれには、吹奏楽部伝来のお宝が隠してあるに違いない。」と言いながら、隣の部屋から運んで来たパイプ椅子に登って、天井とのすき間に押し込んであるその箱を、背伸びしながら何とか引っぱり出した。
箱にまとわり付いていた蜘蛛の巣が、ぼくの頭に降って来たので、ぼくはたまらず部屋を逃げ出したけれど、新藤がすっとんきょうな叫び声をあげたので、何事かと思ってすぐに部屋に戻った。
すると、新藤はぼくの方に、ふたを開けた段ボール箱をかたむけて見せて、中にたくさん入ったハーモニカをゆさぶりながら、「見ろ、宝の山だぞ!」と、まるで埋蔵金を探し当てた探検家みたいな喜びようで言った。
そのハーモニカには、ここの中学と同じ、『青星』という名前の小学校名が、側面の青いプラスチック部分に、滲んだ油性ペンで書き込まれていて、金属部分がはげたり錆びたりしているところを見ると、よほど昔から、誰にも使われることなく、放置されていたのだろうと想像できた。
新藤が吹いてみようとしたので、ぼくが、「汚い!洗ってからにしろよ!」と注意すると、ちょうど、掃除時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。
ぼくらは出しっぱなしの段ボール箱をあわてて部屋の奥に押し込むと、ホームルームに間に合うように駆け足で教室に戻った。
放課後、新藤が珍しく、ぼくの家に遊びに来ると言うので、帰りに用事があったぼくは、新藤を連れて駅のそばの行きつけの楽器店に寄って、ギターの弦を買い、防水仕様のギターケースを眺めて、ギター関係の雑誌を立ち読みしてから、家に帰りはじめた。
新藤が、「ギター用品ってけっこう高いんだな。お前、小遣いで買ってんのか?」と聞いた。
ぼくがそうだと答えると、新藤は、「おれん家は小遣い無しだからなあ。買いたい物があったら、昼飯代を浮かせて金を工面するしかない。」と言った。
新藤は、よくぼくの弁当やパンを分けてくれと頼みに来るけど、それには、けっこう切実な事情があったようだ。
雨がやんだので、ぼくらは公園の東屋(あずまや)に寄って、ぼくが買った缶コーヒーを分け合いながら一休みすることにした。
すると、新藤はポケットをもぞもぞと探って、あの音楽室の倉庫のハーモニカを、取り出して見せた。
ぼくははっとして、
「盗って来たのか。」
と聞いた。
「どうせ誰も使わないんだし、たくさんあったから、一つくらいいいだろう。」
新藤がにやにやしながら言った。
「備品っていうのは、帳面で数が記録されてるんだぞ。」
「あんなにほこりだらけだったんだから、数なんか誰も数えてないって。」
「学校名が書いてあるだろ。人に見られたら盗んだ物だってすぐにばれるぞ。」
「溶剤とかやすりとかで消すさ。消えなかったら、上から油性ペンで塗りつぶしとけばいいよ。」
「ハーモニカくらい、昼食代を浮かせた金で買えよ。ぼくも弁当分けてやるからさ。」
「弟と読む漫画を買ったり、仲間と遊びに行ったりしてると、すぐ無くなっちゃうもん。」
「お前なあ……。」
ぼくは、新藤が盗みを悔いてくれるような事を言わないといけないと思ったけど、
新藤は、
「おれ、ハーモニカが吹けるようになりたいんだよ。お前と一緒に演奏できるように、教えてくれよ。」
と、えらく真剣な顔つきで言うので、何だか言葉に詰まってしまった。
「あれ、お二人さん、いま帰り?」
とつぜん後ろから声をかけられたので、ぼくらがぎょっとして振り返ると、私服のカーディガンを着た七海がエコバッグを提げて、にこにこ笑いながら近づいてきた。
「帰宅部なのに、なんで帰りが遅いの?」
「ちょっと買い物があって、駅の方の楽器店に行ってたから。」
「ああ、鳥夫君、ギター弾くもんね。新藤も何か弾くんでしょう?」
「うん、だけど……まだ秘密!」
いつの間にか、新藤は、七海に見えないように、ハーモニカを後ろ手に隠していた。
「鳥夫君に習って、上手に弾けるようになったら、約束した通り、私に一番に聴かせてね。」
新藤が低く吠えるように「おうっ。」と答えると、七海は、
「私、お母さんから買い物を頼まれてるから、もう行くね。ばいばい!」
と言って、軽く手を振りながら、駅の方へ歩いていった。
ぼくらは、そのうしろ姿をぼんやりと見送ったけれど、不意に新藤が、「おれ、学校に戻るわ。」と言って立ち上がったので、
ぼくは、「え、なんで?」とおどろいて尋ねた。
新藤は、すでに全速力で駆け出しながら、
「ハーモニカ、返してくる!」
と言って、まるでハードル競争の選手みたいに、垣根をひとっ飛びに飛び越えると、早くも通りの向こうへ走り去ってしまった。
新藤は結局、その日はうちに、遊びに来なかった。
ぼくはその夜、ふと思い立って、“ハーモニカ泥棒”というブルース曲を、辞書を首っ引きしながら英語で作詞、作曲した。これが、ぼくが生まれて初めて作った、本格的な自作のブルースだった。
梅雨が明けて、むし暑く晴れた日、ぼくは久しぶりにみんなの前で演奏する、英語の授業の時に、英文に間違いがないかを石井先生に確認してもらってから、この新曲をお披露目することにした。
歌詞の内容は、こんな感じだ。

“ハーモニカ泥棒”

あいつはハーモニカを盗んだね
あいつはハーモニカを盗んだね
だけど
街であの娘に出会ったら
あわてて後ろに隠したね

悪びれてなんかいないはず
悪びれてなんかいないはず
だけど
あの娘の前に出りゃ
後ろから手は出せないね

あいつがハーモニカを盗ったのは
あの娘に聴かせたかったから

あいつはハーモニカを返したね
あいつはハーモニカを返したね
これで
街であの娘に出会っても
笑顔であいさつできるだろ


新藤は、この時ばかりは、神妙に自分の席に着いて、みんながいくら勧めても、気まずそうににやにやするばかりで、踊りを披露しようとはしなかった。
そして、それから何週間か、新藤はみんなに弁当やパンを分けてもらっては、昼食代を根気強く浮かせたすえに、やっと念願の、自分のハーモニカを、自分のお金で手に入れた。

つづく


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【新藤のハーモニカ、ホーナー・スペシャル20 Hi-G】



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十三歳の天才ギタリスト、蒼井鳥夫(あおい・とりお)が主人公の小説、『ブルース少年』の、第8話です。

理想とはかけ離れた出来栄えになったシングル盤に深く失望した鳥夫でしたが、戸敷さんの感謝の言葉を聞いて、この体験にも意義があったのだと判り、気を取り直すことができました。
そして、いよいよ鳥夫の中学生活が始まります・・・。


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ブルース少年

(8)天才少年、中学生になる

ぼくらのシングル盤のうち、“上を向いて歩こう”は、佐元さんの提案で、写真を使った簡素な宣伝動画が作られて、路上セッションが公開されたのと同じ動画サイトで公開されることになった。残念ながらと言うべきか、やっぱりと言うべきか、その動画には、ひと月の間に、好意的なコメントが一件書き込まれただけで、再生回数も千回くらいで頭打ちになり、日々入れ替わる人気動画の陰でひっそりと埋もれていった。それでも、佐元さんによると、それから二ヶ月で、流通させたシングルのうち半分以上が売れた、という事だから、最初の二つの人気サイトでの紹介が、いかに大きな宣伝になったか、という実例にはなったのだろう。
日野社長は、ぼくらのシングルに早々に見切りをつけたらしく、たとえ完売しても追加プレスはしない、という決定を、佐元さんを通じてぼくらに伝えた。戸敷さんは、その決定があった数日後に、中学生になったぼくの詰襟服姿を見に来てくれて、「蒼井君がビッグになるのを、楽しみにしてるよ。」という励ましの言葉を残して、沖縄に旅立って行った。
ぼくはまた、一人ぼっちになったような寂しさを感じながら、新しい学校生活と、ブルースの練習を両立できるように、けっこう忙しく毎日を送り始めた。
中学校には、ぼくと同じ小学校の生徒だけではなく、近隣の小学校の生徒も入学していたから、もしかしたら、ブルースが好きな人も、中には居るんじゃないかと、少し期待していたのだけれど、ぼくが話をしたクラスメイトの多くは、Jポップやビジュアル系、アニメソング、アイドルグループの音楽が好きで、やっと一人見つかった洋楽が好きな生徒も、アメリカのイケメンアイドルグループが好きな人だった。
こうやって、周りの人の音楽の好みが、あらためてはっきりして来ると、そもそも、中学一年生で、アメリカの戦前ブルースが好きな生徒なんて、この日本では、ぼくだけなんじゃないだろうかとさえ思えてきた。
だけど、この世界には、めぐり合わせの妙とでもいうものが、たしかにあるらしい。
思いもよらないところで、ぼくはぼくの好きな音楽に近い趣味を持った人と、出会うことができた。
中学生になると、本格的に英語の授業が始まるのだけれど、その授業を受け持つ石井先生が、カントリーやオールディーズなど、アメリカの、少し古めの音楽を、学生時代から好んで聴いて来られた方だったのだ。
石井先生は、ぼくが音楽活動をしていたことも知っていて、「蒼井君のこと、職員室でけっこう話題になってたよ。仕事で音楽やってるんだって?今度ぼくの授業の時に、英語の曲を歌ってもらおうかなあ。」と言って、ご自身が趣味でアコースティックギターを弾かれていることも話してくれた。
ぼくが、今はバンドの仕事をやめている事と、アメリカの戦前のブルースに熱中していることを話すと、「ブルースも良いよね。ぼくはそんなに詳しくないから、よかったらお勧めのCDを教えてよ。」と言って、ご自身でも、カントリーやオールディーズのお勧めCDを貸してくれると約束してくれた。
ぼくは、けっこう悩んだ末に、ロバート・ジュニア・ロックウッドのCDを貸すことにした。このミュージシャンは、ある程度ブルースに詳しくないと知らないだろうし、現代的なブルースなのに、コクもあって、幅広い趣味の人が楽しめると思ったので、自信を持って勧めることができた。
石井先生は、「蒼井君は、有名どころはたいてい聴いてるだろうから、うちにあるCDで、一番esotericなのを持ってきた。」と言って、アメリカの古いカントリーミュージックの編集盤を貸してくれた。
ぼくはこの中の、フィールズ・ワードという人が歌う“スウィート・ウィリアム”という曲に、すっかり魅了されてしまった。
この曲はなんと、無伴奏の歌のみで録音されていて、それでいて、物足りなさを全く感じさせない、とても深くて豊かな音楽性を持っていた。
戸敷さんと作ったシングル盤を初めて聴いた時に、演奏が追加されることで全てが駄目になる場合もあるんだと思い知らされたぼくにとっては、歌だけでここまで充実した表現ができるというのは、自分の失望の正しさを証明されたような、大きな励みになる発見だった。
石井先生も、ぼくの貸したロックウッドのCDが気に入ったみたいで、「出勤途中の車の中で聴いているけど、思っていたよりもブルースって親しみやすい音楽なんだね。」と、嬉しいことを言ってくれた。
ぼくは、放課後の時間もブルースの練習にあてるために、部活動には所属せずに(部活で音楽をやろうにも、うちの学校には音楽系の部が、吹奏楽部しかなくて、ギターは基本的にお呼びでなかった)、家に帰ったらひたすら歌とギターの練習と、好きなミュージシャンの演奏を譜面に書き起こす勉強に時間を費やした。
そのうち、石井先生から、授業で英語の曲を弾いてほしいとあらためて頼まれたので、ぼくは家からギターを持参して、午後の英語の時に、クラスメイトの前で、お気に入りのブルース、“ローリン・アンド・タンブリン”と“ゼイアー・レッド・ホット”、それから“イッツ・ノーバディズ・フォルト・バット・マイン”という三曲を披露した。
英語の曲をということで、歌詞を暗記して歌える曲を歌ったのだけれど、石井先生は、演奏が終わって、みんなが拍手をしたり、指笛を鳴らしたりして、囃(はや)してくれた後で、「さすがに、プロの演奏は迫力が違うね。だけど、聴いていて、気になるところがなかった?」と、みんなに質問した。
すると、うちのクラスで一番英語が得意な羽生さんが手をあげて、言いにくそうに、「英語の発音が……ちょっと気になりました。」と答えた。
石井先生は、「発音が、どんなふうに気になった?」と、再度羽生さんに尋ねた。羽生さんは、少し顔を赤くして、「日本語英語、というのかな、そんな感じがしました。」と言った。お調子者の新藤が、「おれも、それは言おうと思ってた!」と言ったので、みんなはいっせいに笑った。
ぼくは、とても恥ずかしかったけれど、石井先生は、ぼくの肩に手を置いて、「蒼井君の発音は、元の歌手の英語の発音を、かなり上手にまねて、歌えていたと思う。みんなの中に、このくらい上手に英語で歌える人は、たぶん居ないんじゃないかな。」と言って、
「それでも、言葉の端々で、本物の英語とはどこか違う、という、違和感を感じるよね。それは、例えば英語圏の人が、日本語の歌を歌った時に、どんなに上手な発音で歌っても、言葉の端々に、ぼくたち日本人が、どことなく違和感を感じ取るのと、同じなんだよ。」
と言った。
クラス委員の岸本さんが手をあげて、「日本人が、日本語の発音の悪さを、細かく聴き取れる、というのは分かるんですが、どうして、英語がよく分からない日本人でも、英語の発音の悪さに、気がつくことができるんでしょうか?」と聞いた。
竹やんが、「新藤だって気がついたんだから、不思議だよな。」と言ったので、またみんなどっと笑った。ぼくもつられて笑ってしまった。
石井先生も、微笑みながら、「これは、ぼくの推測なんだけど、ぼくらは、日常で、本物の英語の発音に接する機会がけっこうあるよね。テレビとか、ラジオとかで。その時聞いた言葉の響きを、どこかで記憶していて、それと今聴いている発音がまったく同じかどうかを、頭の中で照らし合わせる、ということが、無意識のうちにできてるんじゃないか、と思うんだ。」と言った。
「人間の脳はノウ力を秘めているんだよ!」と、勉強の苦手な七海が、もっともらしく締めくくったので、教室はまたしてもけたたましい笑い声でいっぱいになり、となりの教室で授業をしていた数学の木田先生が、「もう少し静かに勉強させて下さい!」と石井先生を注意しに来たくらいだった。
この授業で、ぼくが学んだことは、英語の歌を歌うなら、少なくともクラスメイトくらいには、発音の悪さを指摘されないくらいに上達しないといけない、という事と、それが無理なら、日本語でブルースを歌う、高谷さんのスタイルを追求して行くしかないな、という事。
そして、ぼくは英語に自信が無くなった事もあって、日本語によるブルースでもいいじゃないか、という消極的な選択をしたい気分になっていた。
ところが、その日の授業が終わって、ぼくがギターケースを背負って、友だちと下校しようとしていると、職員室の前で待っていた石井先生がぼくを呼び止めて、「ああいう話をしたのは、ぼくが若いころ、アメリカに留学をした時に、発音のことで、クラスメイトから散々からかわれたからなんだ。もちろん、優しく指摘してくれる人もいたけど、それはぼくが語学留学生だったからで、もし、君がプロとして、英語の歌を歌うことを仕事にしたいなら、楽器の練習と同じくらい、英語の練習にも、力を入れて行かないといけないと思うよ。」と、話してくれた。
それで、ぼくはやっぱり、英語の歌も、石井先生が喜ぶくらい上手に歌えるようになりたいなと、あらためて思った。

つづく

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【石井先生】







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小学6年生の天才ギタリスト、蒼井鳥夫(あおい・とりお)が主人公の小説、『ブルース少年』の、第7話が書けたので、ご紹介します。

偶然が重なって、歌い手の戸敷(とじき)さんとのシングル盤作りの機会を得た鳥夫は、いよいよプレスが終わったCDを、その手に受け取ることになるのですが…。


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ブルース少年

(7)天才少年、シングル盤におどろく

小学校の卒業式が終わって、中学校の入学式を待っている間に、戸敷さんとぼくのシングルCDが完成したという電話が、サン企画の佐元さんから入ったので、ぼくは戸敷さんに電話をして、戸敷さんの仕事が終わる夕方の五時に、一緒にサン企画に行こうと約束した。
戸敷さんが家まで車で迎えに来てくれて、二人で中野の事務所に行ってみると、佐元さんともう一人、社長の日野さんという年配の人が待っていて、ぼくらを事務所の奥の社長室に案内してくれた。
「若いのに、九ちゃんの曲が好きだなんて感動したよ。九ちゃんが生きてたら、さぞ喜ぶだろうな。俺は、二人を応援するつもりで、今回のシングル制作を決めたんだ。二人には、昭和の歌謡曲をリバイバルヒットさせる路線が合っているんじゃないかと思うよ。」
皮張りのソファにくつろいで座った日野社長は、卓に置かれた段ボール箱から、ぼくと戸敷さんが録音する姿がジャケットにあしらわれたシングル盤を手に取ると、中のCDを取り出してから、ジャケットをぼくらに渡し、「佐元君、聴かせてあげて。」と言って、CDを佐元さんに渡して部屋の隅にあるCDプレイヤーで再生させた。
ぼくは、本当に信じられない気持ちで、その再生音を聴いた。
なにしろ、ぼくら二人の録音に、誰だか分からないドラムス、ピアノ、シンセサイザーの録音がかぶせてあって、それがまたいかにも安っぽい、と言っては失礼だけれど、近所のスーパーマーケットで流れているBGMみたいに、耳あたりは良いけれど無個性な、なんとも退屈な演奏でしかなかったからだ。
「歌とギター伴奏だけだと物足りなかったから、知り合いのスタジオミュージシャンに協力してもらったんだ。いい感じだろう。これはサービスだから、追加料金は心配しなくていいよ。」
社長がこう言うので、ぼくは戸敷さんの様子をうかがったけれど、戸敷さんは、「すごく良い感じです。ありがとうございます!」と満面の笑みで答えていた。
ぼくは、“上を向いて歩こう”を、わきの下に冷たい汗を感じながら聴き終えた。そして、“てぃんさぐぬ花”では、さらに大きな失望を味わわされることになった。
わざとつっかえるように弾いたぼくのギター伴奏は、音量がものすごく小さくされて、代わりに、シンセサイザーののっぺりした演奏が、グルーヴ感のないピアノやドラムスの演奏と共に、前面に出た編集が行われていたからだ。当然、ぼくと戸敷さんだけの演奏で感じられた、あのおかし味は失われて、良く言えばなめらかな、悪く言えば印象に残らない演奏になってしまっていた。
「蒼井君の演奏は、他のミュージシャンがリズムを合わせにくいという事で、申し訳ないけど音量を小さくさせてもらった。このアレンジの方が、分かりやすくて私は良いと思う。」
日野社長がぼくに話しかけたので、ぼくはどうにか悲しい気持ちを隠して、「分かりやすくなったと思います。」と答えた。
佐元さんが、シングル盤は千枚ほどプレスした事、大半は流通業者に渡すという事、流通業者に渡す前に、ぼくや戸敷さんが手売りしたり知人に配ったりする分は、今ここで購入しておいてほしい、という事をぼくらに伝えた。
ぼくは、正直に言うと、一枚も欲しくなかったけれど、残念ながら、お母さんから十枚買ってきてと代金を預かっていたので、仕方なくそれを渡して、シングルの束を受け取った。
戸敷さんは、なんと百枚下さいと言って、代金と引き換えに、箱ごと商品を受け取った。
サン企画を出て、戸敷さんの車で家に帰る途中、ぼくは、「百枚も、自分でさばけるんですか?」と、心配になって戸敷さんに聞いた。戸敷さんは、「一生の記念だからね。それに、毎日一枚配ってたら、百日でなくなっちゃうよ。」と答えた。
そして、「蒼井君は、たぶん勝手にアレンジを加えられたことにがっかりしたんじゃないか、と思うけど、ぼくはこれで満足してる。ずっと歌ってきて、やっと認められて作ってもらったCDだからね。蒼井君のおかげだよ。ありがとう。」
と言って、気遣うようにちらっとぼくを見た。
ぼくは、「戸敷さんが満足なら、ぼくは良いんです。」と答えた。
戸敷さんは、しばらく車を走らせてから、急にあらたまった口調で、
「ぼく、東京での仕事を切り上げて、以前住んでた沖縄に戻ろうと思ってる。向こうで知り合った彼女が、ずっとぼくを待っててくれていて、ご両親の豆腐料理屋を手伝ってほしいって、以前から言ってくれているんだ。」
と話した。
ぼくは、戸敷さんが今回のシングル盤の成功を期待していると思っていたので、意外に思えて、
「CDは、沖縄で配るんですか?」
と尋ねた。
戸敷さんは、「そうなりそうだよ。沖縄の歌を練習してるうちに、帰りたくなっちゃったのもあるかも。」
と言って、朗らかに笑った。
そして、
「ほんとを言うと、蒼井君の才能や、好きな音楽に対するこだわりを見て、プロの歌手になる夢はもういいかなって、思えたんだ。」
と言った。
ぼくは、戸敷さんという人が、どんなに善良な人だか、その時ようやく、すっかり分かった気がした。
ぼくが何も言えずに黙っていると、戸敷さんはまた気遣うように笑って、
「沖縄でも、路上ライブはやるけどね。」
と、おどけて肩をすくめながら言った。

つづく


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【戸敷さんと鳥夫のシングル盤】





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小学生の天才ギタリスト、蒼井鳥夫(あおい・とりお)が主人公の中編小説、『ブルース少年』の、第六話が書けたので、ご紹介します。

今のところ、十話くらいでの完結を目指しています。
あまり長くなりすぎると、だれて来そうなので、重要な場面だけを書くようにして、文章量を引き締めて行きたいと思います。


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ブルース少年

(6)天才少年、スタジオ入りする

老人ホームでの演奏会のあと、ぼくは両親に、戸敷さんとのCD作りの話を相談した。
お母さんは、戸敷さんがどこに住んでいて、家族が何人で、何の仕事をしている人か、とぼくに聞いたけど、ぼくが戸敷さんの素性について何にも知らない事が分かると、「一緒に仕事をするなら、そのくらい聞いてからにしなさいよ。」とあきれていた。
お父さんは、動画サイトでぼくらの演奏を観て、インディーズのレコード会社のホームページも確かめてから、「仕事といっても、自主製作、自主販売に近い感じじゃないかな。」と言って、「鳥夫には良い経験だと思うけど、お金のことが一番心配だから、戸敷さんからよく話を聞いた方がいいね。」とも言った。
その夜、戸敷さんから電話があって、お父さんと長いこと話をしていたけど、戸敷さんの方でもレコード会社の人にあらためて条件を問い合わせていたようで、CDの制作費用はレコード会社が負担し、制作にかかった費用を上回る売り上げがあるまでは報酬を支給しないという取り決めになる、という事だった。
それから、戸敷さんが独身で、出身が兵庫県、府中の競馬場で警備員をしていて、歌う時にかりゆしを着ているのは、一時期沖縄に住んでいたことがあって、そこで音楽活動をしていた頃からのトレードマークなのだ、という事も分かった。
お父さんは、いったん家族で話し合ってみますと言って電話を切ると、戸敷さんの素性をお母さんに話して、「いろいろ経験してる、しっかりした人みたいだから、大丈夫だと思うよ。」と、言った。
音楽活動の事は最終的にお父さんが決める、というのが、我が家の習わしだったから、お母さんもしぶしぶ承諾してくれたけど、「ミュージシャンって大雑把な人が多いから、心配だわ。」と、ぼくの耳が痛いことをぼやいていた。
数日後、ぼくはお父さんと戸敷さんに連れられて、中野にあるインディーズの事務所を訪れた。古い雑居ビルの三階に上がると、『サン企画』という社名が書かれたくもりガラスの扉があって、中に入ると、事務員さんが一人、四つある事務机の一つについてパソコンで仕事をしていた。
事務員さんは、「担当者がちょっと席をはずしておりますので、そちらでお待ち下さい。」と言って、ぼくらを間仕切りのされた小さな応接室に案内した。
間もなく、スーツ姿の四十代くらいの男の人がやって来て、「営業とマネジメント担当の佐元です。本日はよろしくお願いします。」と言って、お父さんとぼくに名刺を差し出した。戸敷さんをスカウトしたのもこの人らしく、戸敷さんに、「蒼井君とお二人で来てもらえて良かったです。」と笑顔で声をかけていた。
ぼくはまず、佐元さんに、戸敷さんとの継続的な音楽活動は難しい、という事を話した。すると、佐元さんは、「それは、今の段階では問題ないです。」と言って、
「ネットで話題になった人を売り出す場合、鮮度が大事ですから、ともかく売り物を一枚作って販売して、後の事は、売れ行きや世の中の反響を見て、それから決める、という事で良いと思います。」と説明した。
そして、
「率直に言わせて頂くと、蒼井君が今の時点で小学生、というのがとても重要なんです。プロモートするときに、それが大きなセールスポイントになりますから。蒼井君は今春から中学生という事で、私としてもそうとう焦っています。」と言って、できれば、今日中に中野にあるレコーディングスタジオで録音を行なってほしい、とまで言った。
さすがに、お父さんは笑ったけれど、佐元さんは本気のようなので、ともかく契約書を出してもらって、内容を確認してから、戸敷さんとぼくとお父さんで署名をして、佐元さんの運転するバンで、近所のレコーディングスタジオに連れて行かれる事になった。
車の中で、佐元さんは、社長が坂本九の大ファンで、小学生のぼくが彼の曲を演奏しているのを見て、たいそう感心して、スカウトすることを決めたのだ、という事を話してくれた。
レコーディングスタジオは、アパートのような小ぢんまりとした建物の一室の、パソコンが一台と、機材がスチール棚に並べてあるだけの、ごく普通の住宅のような場所だった。戸敷さんは、「ガラス張りの録音室がある大きなスタジオを想像していた。」と言ったけど、ぼくは以前、お父さんの知り合いのバンドが、やはりインディーズでCDを作るという事になって、こういう場所で録音しているのを見学させてもらったことがあるので、「今は、パソコンで編集ができるし、マイクも高性能になっているから、大きな機材とか録音専用の部屋はいらないみたいですよ。」と教えてあげた。
部屋にはエンジニアのお兄さんが一人いて、彼の指示でまずギターの伴奏から録音することになった。
ヘッドホンで一定のテンポの打音を聴きながら、それに合わせて録音しますか、と聞かれたけれど、それだとつまらない演奏になるので、自分のテンポで演奏しますと言って録音を始めた。
ぼくの録音は、ワンテイクでOKになった。
今度はその伴奏をヘッドホンで聴きながら、戸敷さんが歌声を録音した。
それも、ワンテイクでOK。
この二つの録音を、パソコン上で一つに重ねて、試しに天井のスピーカーから流してもらったら、細部までくっきりした音でぼくのギターと戸敷さんの歌声が聴こえるので、まるでよそ行きの、すました音楽みたいな気恥ずかしさを感じた。
つづいて、シングル二曲目。
これは、戸敷さんの希望で、沖縄民謡の“てぃんさぐぬ花”を録音することにした。
戸敷さんの好きな曲の中に、ぼくが気持ち良く弾けそうな曲があまりないので、選曲に苦労したのだけれど、沖縄民謡は、リズムが平坦なようで、跳ねるような内側からのグルーヴを持っているので、ちょっと誇張して弾けば、自分の好きな感じのリズム感が出せると思って、これに決めた。
ぼくの伴奏は、節ごとにつまずくような、ちょっと乗りにくい演奏にしてみたけれど、それは戸敷さんの歌声と合わさった時の効果を期待してのものだった。
ギターの録音は、やっぱりワンテイクでOKになり、戸敷さんの歌も、一発OKだった。
二つの録音を重ねて聴いてみると、期待した通り、おかし味を感じる効果が出てくれて、お父さんがくすくす笑ってくれたのが嬉しかった。
これで、シングル盤のための録音はすべて終了。
録音からミックスダウンまで、三十分もかからなかったと思う。
それから、録音の合い間に、佐元さんがぼくらの写真を撮ってくれていて、それをシングル盤のジャケット写真に使用するという事だったので、ぼくらのすることはもう無くなって、なんだか物足りないような気持ちで、佐元さんのバンで中野駅まで送ってもらって、家路についた。
三鷹駅でぼくらが降りるとき、戸敷さんがぼくに、「今日はありがとう。蒼井君の伴奏だから、自信を持って歌えたよ。」と言ってくれたのが、その日一番のご褒美だった。

つづく


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【戸敷さんと鳥夫のレコーディング風景】





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アメリカの伝統音楽、ブルースに魅せられた日本のギター少年をテーマにした中編小説、『ブルース少年』の第5話です。


前回のあらすじ
ブルースの奥深さ、難しさに自信を無くしかけた鳥夫は、ふと立ち寄った武蔵境で、路上ライブをしていた歌い手の戸敷さんと知りあい、彼のボランティア演奏会に参加することになります。


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ブルース少年

(5)天才少年、スカウトされる


それから一週間後、ぼくは電車で戸敷さんと待ち合わせをした拝島駅に出かけた。
前の日に、戸敷さんから「良い話があるから楽しみにしてて。」というメールが来ていたので、ぼくは改札を出たところで待っていた戸敷さんに挨拶すると、そのことについて質問してみた。
すると、戸敷さんはちょっと興奮した感じで、「これ、見てみて。」と言って、スマホを出して、ぼくもよく利用するネットの動画サイトの一ページを表示した。そこには、先日ぼくらがセッションをした様子を、お客さんが撮影したらしい動画が公開されていて、驚いたことに、再生回数が三十万回を超えていた。
「昨日、武蔵境で歌ってたら、ギャラリーが二十人くらい集まってきて、『動画観て来ました。』って言うから、なんのことかと思ったら、この動画が、有名なブロガーのブログと、大手ネット企業のサイトのトップページで紹介されてたそうなんだよ。で、そのギャラリーの中の一人がね、インディーズのレコード会社の人で、うちと契約してシングルを一枚作ってみませんかって言うんだけど、ぼくの一存では決められないから、ギターの子に相談していいですかって、とりあえず言っておいたんだ。」
戸敷さんは、そのインディーズの人の名刺をぼくに見せて、
「レコード会社の人が言うには、蒼井君とコンビじゃないと契約はできないって。」
と付け加えた。
ぼくは、突然降ってわいたこの話に、すっかり戸惑ってしまって、すぐには返事ができなかった。
何しろ、一度だけ、それも数分のセッションをしただけの戸敷さんと、さほど思い入れのない歌謡曲というジャンルでCD制作をするなんて、かなり無理があるように思えたからだ。
ぼくが「うーん。」とだけ言うと、戸敷さんは意外そうに、
「あれ、もっと喜ぶと思ってたんだけど……。」
と、がっかりした様子だった。
「嬉しいですけど、ぼくのやりたい音楽と、戸敷さんのやりたい音楽はかなり違うから、一緒に演奏しているとどうしても違和感が出ると思います。」
ぼくが率直に意見を言うと、戸敷さんは、
「蒼井君のやりたい音楽って、何?」
と聞いた。
「ブルースです。それも、日本の歌謡曲の乗りのブルースではなくて、アメリカの、本格的な弾き語りのブルースです。」
それを聞いて、今度は戸敷さんが、「うーん。」とうなってしまった。
そして、
「ぼくには、難し過ぎるジャンルだと思う。」と言った。
「曲目を、“上を向いて歩こう”にしてもらって、この前のセッションの通りに録音すればいいんじゃないかな。それも難しいのかな。」
戸敷さんがまた質問をしてきたので、ぼくは、
「それならなんとか。あ、でも、親に相談してからの返事になりますけど。」
と答えた。
戸敷さんは、ようやく安心して笑顔になると、
「よかったあ。ぼくからも親御さんにお願いするね。せっかくのチャンスなんだから、一緒にやってみようよ。」
と言った。
そこでぼくらはCD作りの話を切り上げて、戸敷さんの案内で、バスに揺られること三十分、ボランディア演奏会の会場の、ま新しい六階建ての老人ホームに到着した。
受付の職員さんに挨拶をすると、準備はもうできているという事で、ぼくらをお年寄りたちの待つ食堂に連れて行ってくれた。
職員さんが大声で、「さあ、歌手の戸敷さんが来ましたよ。」と言うと、椅子や車いすに座った三十人くらいの方々が、窓際の舞台に進み出るぼくらに、にこやかに拍手をしてくれた。
戸敷さんは、ここでの演奏会を、何度か開いたことがあるようで、「今日は、いつものラジカセのカラオケではなくて、ギターの伴奏で歌をうたいます。生演奏の伴奏がつくなんて、豪華でしょう?」と言って、みんなを笑わせてから、ぼくの方を手で示して、「伴奏者は、小学六年生の蒼井鳥夫君です。子供なのに、とても演奏が上手なので、皆さんびっくりされると思います。今日は、蒼井君とぼくとで、みなさんの若い頃に流行した歌を、一生けんめい覚えてきましたので、歌詞を思い出された方は、一緒に歌ってくださいね。」と言って、ぼくをうながして、演奏を始めた。
オープニングナンバーは、“上を向いて歩こう”だ。
お年寄りたちのうちの何人かが、序奏から曲名が分かったようで、嬉しそうに手拍子を始めたので、他の人たちもそれに合わせて手拍子を打ち始めた。
ぼくはこの前と同じように、スイングを効かせた伴奏を行ない、戸敷さんは全くスイングせずに、アイドル歌手のようなリズムで歌った。
やっぱり、この曲では、二人の乗り方の違いが面白く調和して聴こえる。面白いというのは、おかし味が感じられるという意味で。
多くの人が、戸敷さんのリズムに合わせて一緒に歌ってくれて、演奏が終わると、嬉しそうにさかんな拍手を送ってくれた。
二曲目は、やっぱり坂本九のレパートリーから、“涙くんさよなら”。
セッションの時に、“上を向いて歩こう”が上手く行ったので、今回の演奏会でも、坂本九のレパートリーを多く採り上げていた。
だけど、“涙くんさよなら”では、先ほど心配した通り、戸敷さんのメトロノーム的なリズム感と、ぼくのグルーヴする伴奏とが、水と油のように反発してしまって、あまり愉快な効果を得ることはできなかった。
それに、聴き手のお年寄りたちやホームの職員さん達が、戸敷さんの歌のリズムに合わせて手拍子を入れるので、ぼくの伴奏も知らず知らずのうちに引きずられて、スイング感やグルーヴ感がなくなってしまうという結果になった。
その時、ぼくが気が付いたのは、もし戸敷さんに強力にスイングする歌い方ができたとしても、聴き手の皆さんは、それに合わせて歌ったり、手拍子を打ったりすることが難しいんじゃないか、という事。
もしそうだとすると、ぼくがここのお客さんたちを心から楽しませ、満足させるためには、戸敷さんの平易なリズム感に合わせて伴奏するのが、一番自然で無理がない、という事になる。
ところが、まさにそれこそが、今のぼくにはもう、どうしようもなくやりたくないことなのだった……。

つづく

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【戸敷さんと鳥夫の演奏会】




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天才少年ギタリスト、蒼井鳥夫(あおい・とりお)が主人公の中編小説、『ブルース少年』の第4話が書けたので、公開します。
第1話を公開した時に、「5話くらいで完結する予定」と書いたんですが、いつもの通り、予想を大幅に上回る長さになりそうです。^^;

前回のあらすじ
日本のブルースの草分け、高谷公吉から手ほどきをうけることができた鳥夫でしたが、喜んだのもつかの間、鳥夫が模倣者になってしまうことを心配した高谷から、師弟関係の解消を告げられてしまいます。
鳥夫は一人ぼっちで、ブルースマンになるための新たな道筋を探し始めます・・・。


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ブルース少年

(4)天才少年と路上の歌い手

その日から、ぼくはお父さんのバンドとの練習もやめてしまって、来る日も来る日も、過去のブルースマンの名演の数々を聴き続けた。
ブルースだけではなく、ジョージ・ルイス、ビリー・ホリディ、ウッディ・ガスリー、ハンク・ウィリアムズなど、黒人白人問わず、ブルースの影響を基礎に持つバンドやミュージシャンの演奏も聴きあさった。
いろいろ聴くほどに、あらためて戦前ブルースの良さが分かって来るけど、それでも、ブルースに影響を受けたからといって、優れたミュージシャンたちが、独自の技術や味わいを持っていないのではなくて、決して過去の演奏や歌唱を模倣しているだけでもない、という事も分かって来た。
彼らがたとえ、過去の名演と似通った旋律を奏でたとしても、そこにはたしかに、その人独特の魅力ある個性を感じ取ることができる。
そのもっとも大きな違いは、リズムへの乗り方、つまりグルーヴ感の違いなのだ。
それにしても、エルモア・ジェームスのような強烈なクルーヴ感を、エルモア自身は、どうやって身につけたのだろう。
彼の演奏を年代順に聴いて行くと、五十年代初期にはリズムを強調するために前面に出ていたギターサウンドが、晩年の六十年代に近付くほど、音楽に溶け込んで、リズムの内側から勢いや変化を与える存在になっていく。
これ以上うまく説明できないけれど、今のぼくには絶対にまねのできない表現だ。
そして、あんな演奏ができたなら、きっとハードロックを聴きに来たお客さんだって、あっと言わせることができるはずなんだ……。
ぼくはあまりにすごい演奏にひたり過ぎて、自信がなくなって来たので、ギターケースを背負って、気晴らしに野外練習に出かけてみることにした。
目的地は、立川の多摩川の土手。なんだか、今はそこしかないような気が、ぼくにはするのだった。
中央線に乗って、となりの武蔵境駅に来た時、電車の扉が開くと、外からかすかに生歌らしい歌声が聞こえてきたので、ぼくは思わず席を立って、閉まりかけた扉をすり抜けてホームに飛び出すと、南口の改札を通って、弓なりに曲がった歩道を見渡した。
二十代後半くらいのかりゆしを着た男の人が、ラジカセでカラオケを流しながら、独唱を聴かせる路上ライブを行なっていた。
曲は、何年か前の流行歌で、その人は、素晴らしく上手な歌、というわけではないけれど、とても気持ちよさそうに歌っていた。
立ち止まって聴いているのはぼくひとりで、他の人はちらっと横目で見るか、まったく見向きもせずに通り過ぎていた。
ぼくは聴きはじめたからには、途中で立ち去るのも気まずくなったので、一曲終わるまで待ってから、頭を下げて、駅に戻ろうとした。すると、その人は、「聴いてくれてありがとう。」と丁寧にお辞儀をして、「君、ギターやるんだね。今から路上ライブ?」と聞いた。
ぼくが「いえ、多摩川の土手で練習です。」と答えると、その人は、「聴きたいなぁ。良かったら、お互いが知っている曲で、今からセッションしてみない?」と提案した。
ぼくは、面白そうだな、と思ったので、その人の声質に似合いそうな、“上を向いて歩こう”ではどうですか、と聞いてみた。
すると、その人は、にこにこ笑って、「いいね。大好きな曲。」と言ってくれた。
ぼくがギターのチューニングをはじめると、通りかかった人の何人かが足を止めて、ぼくらが演奏を始めるのを待ってくれた。
ぼくは、ブルースにはまり出してから、単調なリズムの曲を演奏することを避けるようになっていたから、もともとスイング感のある曲調の“上を向いて歩こう”は、無理なく演奏できる格好の選曲だった。
かりゆしのお兄さんは、まったくスイングしない平坦な拍子で歌ったけれど、ぼくのスイングを意識した伴奏と合わさると、不思議とお互いの持ち味が強調された、面白い演奏になったような気がした。
お客さんも、その感覚を楽しめたようで、演奏が終わると、笑顔で拍手をしてくれた。
かりゆしのお兄さんは、「ギター上手いねぇ。よかったら、今度老人ホームでやるボランティアの演奏会に参加してみない?」と聞いてきた。
ぼくは、「Jポップは弾けないですけど、それで良かったら。」と答えた。
かりゆしのお兄さんは、戸敷(とじき)と名乗って、「お年寄り相手だから、昭和の古い曲の方が喜ばれるよ。」と言って、電話番号とメールアドレスを交換すると、「あとで、ぼくが歌えそうな曲のリストをメールで送ってね。練習しておくから。」と言った。
ぼくは戸敷さんと別れて、立川の練習場に向かいながら、縁っていうのは不思議で、思い掛けないものだよな、とつくづく思った。

つづく

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【戸敷さん】





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天才少年ギタリストが主人公の中編小説、『ブルース少年』の、第3話です。
すっかりブルースのとりこになった鳥夫ですが、今まで演奏してきたロックミュージックとは、ずいぶん勝手が違うことに、とまどうことも多いようで…。


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ブルース少年

(3) 天才少年、ブルースにまよう

それから一月くらいして、お父さんは聴かせたい演奏家がいると言って、突然ぼくを新宿のライブハウスに連れて行った。
駒野強(こまの・つよし)さんという、ブルースギタリストのワンマンライブだった。
駒野さんの演奏は、豊かな和音と旋律で、とてもモダンな、大人の色気を感じる素晴らしいものだった。
アコースティックとエレキ、どちらのギターも使ったけれど、リズム隊が居なくても問題ないほど演奏が緻密で、ロックに負けない迫力も感じられた。
「ああいうのなら、俺たちのバンドの演奏の合間に弾いても、違和感がないと思うよ。」
ライブが終わった後で、お父さんがぼくに言った。
お父さんは、ぼくの戦前ブルースへのこだわりを、やんわり現代の一般聴衆向けの音楽に軌道修正しようとしているようだった。
確かに、お客さんも立ち見が出るほど多かったし、人気が出るのもうなずけるかっこいい演奏だったけれど、ぼくにはやっぱり、高谷さんの演奏の方が魅力的だと思えたので、
「おしゃれな音楽ではあるけど、いつか飽きられるんじゃない?」
と答えた。
するとお父さんは、ぼくの言い方が高慢に思えたらしく、ちょっとムッとして、
「戦前のブルースだって、当時の人からすれば、最新のおしゃれな音楽だったんだろう。だとすれば、今の人が、最新のおしゃれなブルースに惹かれるのは当然だし、演奏者だって、聴衆の求める最新のおしゃれなブルースを追求するのは、当然じゃないか。」
と言った。ぼくはその事についても、以前考えたことがあったので、
「昔も、底の浅いブルースから、より深みのあるブルースまで、いろいろあったと思う。そして、聴き継がれて今も高く評価されているのは、深みのある本物のブルースの方だよ。」
と答えた。
お父さんはうーんとうなって、
「本物の、しかも戦前のアコースティックなブルースの良さが分かる人なんて、戦前当時ならともかく、今じゃほんの一握りなんだろう。だとすると、本物っていうのは、ごく少数の愛好家の間だけの本物であって、そのほかの大多数の聴衆にとっては、偏った価値基準に基づいたうさんくさい本物っていう事になるんじゃないか?」
と聞いた。
ぼくはこのおかしな理屈にすぐ反論しようとしたけど、一方で、全部が全部間違っているわけでもない気がして、口をつぐんだ。
だって、客観的に見れば、アコースティックなブルースの聴衆は、エレクトリックなブルースの聴衆に比べて、圧倒的に少ないし、それが戦前のブルースともなれば、愛好する聴衆の数は、頼りないほど限定されてしまうのが確実だったからだ。
それに、戦前ブルースを愛好している人の価値判断が正しいと思うのは、ぼくが彼らと同じ少数派に属しているからで、お父さんたち大多数の聴衆からしてみれば、ぼくらの価値判断は偏った、特殊なものに思えてしまうのも当然と言えば当然だった。
ぼくらはそれ以上ブルースについての議論をすることはなく、小腹がすいたので、西新宿のタイ料理屋でバーミーを食べて、おとなしく家に帰った。
それからしばらく、ぼくは高谷さんに連絡を取らないで、一人で昔のブルースマンのCDを聴きながら練習することに没頭した。
自分の熱意が、単なる一過性の好奇心に過ぎないのか、それとも、人生をかけて追究するに値する価値があるものなのか、見極めたいと思ったからだ。
でも、そんな迷いは、本物のブルースマンを前にしては、すっかりちらけて無くなってしまう。
チャーリー・パットンの濃厚さ、サン・ハウスの実直さ、ブラインド・ウィリー・ジョンソンの生命力、そして、ロバート・ジョンソンの鮮烈さ……。
ぼくはギターを抱えて、時に模倣するのも忘れながら、疲れて寝入ってしまうまで、彼らの作り出す豊かな音世界にどっぷりとひたって過ごした。
高谷さんに久しぶりに連絡したのは、中学への進学を控えた、寒いさかりの二月の事だった。
高谷さんは正月にこじらせた風邪がまだ治りきっていないという事で、少し鼻声ではあったけれど、「退屈だから遊びに来いよ。」と言ってくれたので、ぼくは遠慮なくお邪魔させて頂くことにした。
それまでにも、ギターの練習の行き帰りに、お宅に寄らせて頂いた事があって、ぼくは高谷さんの奥さんともすっかり仲良くなっていた。
奥さんは福岡の人で、高谷さんとは、大学進学で上京した時に、同じ大学に高谷さんも在籍していた事から知り合ったのだそうだ。
「気が付いたら、サラリーマンの奥さんになるつもりが、ブルースマンの奥さんになっちょったんよ。」
などと、奥さんが皮肉とも冗談ともつかないことをぼくに言うと、きまって高谷さんが真っ先に大笑いした。
その日は、鍋をみんなでつつこうという事で、奥さんがぼくの分まで食材を準備してくれていた。高谷さんはというと、綿入れを着て、こたつに座って、焼酎の水割りのグラスを持って、すっかりおとなしくしていた。
食事が進んで、奥さんが鶏つくねをぼくに取り分けながら、
「どうね、演奏は上達しよるんね?」
と聞いた。
「うーん、どうなんだろう。練習は毎日してるけど……。」
じっさい、ぼくはまた、自分で自分の演奏の良し悪しが、よく分からないという状態におちいっていた。それで、高谷さんに演奏を聴いてもらおうと思って連絡した、というのもあったのだ。
「鳥夫君に教えるのはこの人のはり合いでもあるんやけんね。また教えてもらい。」
奥さんはそう言って、「ねぇ!」と言いながら高谷さんの背中を叩いた。
でも、高谷さんは、きっぱりした調子で、
「いや、鳥夫はもう俺から卒業!」
と言った。
ぼくはびっくりして、つくねをつまんだ箸を止めて高谷さんを見た。
奥さんは口をとがらせて、
「なんでぇ。」
と聞いた。
すると、高谷さんは奥さんとぼくを交互に見て、
「これ以上俺から教わると、鳥夫は俺になってしまうよ。」
と言った。
「演奏が似て来るっちゅうこと?いいやんね。弟子なんやけん。」
奥さんが取りあおうとしないので、高谷さんはぼくに、
「だめだよな。鳥夫には、わかるよな。」
と同意を求めてきた。
ぼくは、高谷さんが、ぼくの模倣の才能と、ご自身の模倣の才能を、重ねて見ているんだと気が付いた。
そして、ぼくには自分のようにならず、模倣を越えて成長してほしいと願っているのも、伝わってきた。
ぼくは、「分かります。」と答えた。
「まだ小学生やんか。真似くらいいいやんねぇ。」
奥さんは不満な様子だったけれど、たぶん、それはぼくの本当の気持ちを察してくれて、代弁してくれているのだ。
ぼくはやっぱり、高谷さんの考えが正しいと思ったので、
「なんとか一人でやってみます。」
と言って、すっかり冷めた鶏つくねを、から元気でほおばってみせた。

つづく

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【駒野強】




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ブルースをテーマにした中編小説、『ブルース少年』の、第2話を書き進めたので、ご紹介します。
ロックのギタリストとして早熟な才能に恵まれた小学生鳥夫でしたが、よりマイナーな音楽、戦前ブルースに興味を持つことで、その奥深い世界に次第に魅了されて行くのでした…。


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ブルース少年

(2) 天才少年、ブルースをならう

高谷さんとの練習は、曜日を決めずに週に一回、高谷さんが忙しい時は、まったく会えない週もあった。
本音を言えば、もっと練習を見てもらいたかったけど、高谷さんは好意で教えてくれているのだし、家でも練習はしていたけど、高谷さんの演奏を間近で見ながら練習した方が、明らかに上達が早かったから、教えてもらえるだけでもありがたい、と思わないといけなかった。
これまでの高谷さんとの練習で気が付いたのは、自分の演奏が、けっこうミスが多い、という事。音が抜けたり、変な音が出たりするところが、一曲に一回は必ずある。高谷さんは、ほとんどミスをしない。というより、ミスをしても、なぜだかそれがちっとも目立たない。
そして、これはもっと重要なことだけど、高谷さんの演奏は、聴いているぼくの指が、勝手にひざの上で拍子をとってしまうくらい乗りがいいのに、ぼくのは単純で面白みのない、一本調子なリズムになっているという事。
「日本の音楽とアメリカの音楽は、リズムへの乗り方が違う。これは、単調な拍子に慣れた日本人には習得がとても難しい部分。それも、借り物でない生きたグルーヴ感を身につける必要がある。」
高谷さんは、小学生のぼくにも分かりやすく、一番知りたかった核心部分を教えてくれた。
ぼくには、生まれつきか、これまでの演奏活動の悲しい成果か、すでに日本人らしい単調なリズム感が頭にも体にも染みついていた。ただ、高谷さんのもとで習っていれば、今からでも自分のリズム感をアメリカ音楽が持つリズム感に修正できそうだ、という手ごたえも感じていた。
それはぼくが、高谷さんの教える奏法を、ロックの曲を覚えるのと同じくらい、早いペースで習得することができている、ということから来る自信だった。
やがて、高谷さんから習い始めて四ヶ月が経ち、腕試しがしたくなったぼくは、バンドのメンバーに、またライブでブルースの演奏を披露させてもらえないかと相談した。
みんなはぼくが、有名な高谷さんから習っている事を知っていたので、とりあえず練習の成果を聴かせてみろと言った。
そこでぼくは、高谷さんの持ち歌で、スリー・フィンガー奏法の名曲、『多摩川べりのブルース』を演奏した。
歌は自分でも力不足だと感じたけど、演奏の方はミスもなく、馬車が駆けるような乗りも出せて上手く弾けたと思った。
演奏が終わると、岸田さんが、
「演奏自体は、前より良くなってる。」
と言ったので、ぼくは安心したんだけど、岸田さんは続けて、
「だけど、決定的に間違ってる部分がある。俺らのライブに来てる人たちは、大好きなハードロックを聴きに来ているんであって、大して好きじゃないフォークソングを聴きに来ているんじゃないって事。」と言った。これには、ぼくは一言もなかった。その通りだからだ。
吉田さんも、
「エレキを使ったブルースならぎりぎりセーフだけど、昭和のフォークブームの頃の歌は完全にアウトだな。」
と言った。フォークとブルースの違いはいまいちよく分からないけど、どちらにしても、このバンドでぼくの熱中している音楽を演奏するのは、お客さんにとってあんまり喜ばしいことではないのだ、という事が、ようやく理解できた。
お父さんが、「ブルースでも、曲調によるだろうけどね。」と言って、なぐさめるように、がっかりしているぼくの肩をぽんとたたいた。

つづく
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【ロバート・ジョンソンの真似をする鳥夫】


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【小説】 ブルース少年(完結)|Kobitoのお絵描きブログ 52.939.933.930.928.927.923.921.920.918.913