きょうは、久しぶりに短編の童話を書いたので、ご紹介します。
多くの人が一度は経験したことがあるだろう、野良猫との出会いと別れのメランコリーです。



「黒猫」

どこからまぎれこんだのか、黒猫の子どもが、庭の生垣のたもとに座っていました。
青い目を光らせて、庭に出た私を、じっと見上げているので、何だか少し、気味が悪い気がしました。
「子猫、どこからきたの。帰るところあるの。ここに住み着くつもりなの。」
私は、たわむれに、話しかけてみました。
すると、子猫が言うには、
「見てるだけだよ。」
という事でした。
私は、ちょっとがっかりして、「そう。」と言うと、後ずさりして、ゆっくり縁側に腰掛けました。
「何にもしないの。」
子猫が聞くので、私は、「生垣の、せん定をしようと思うよ。」と答えて、しまったと思いました。
案の定、子猫は、
「じゃあ、さよなら。」
と言って、引きとめる暇もなく、生垣の向こうに行ってしまいました。
私はせん定ばさみを、むなしく開いたり閉じたりしながら、
「前にもこんな事があったのだ。素直に、しばらく一緒にいておくれと頼めばよかったのだ。」
と思いました。

おしまい

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人は、人生の中で、自分を偽って、道化のような卑屈な態度を演じる事がありますね。
今日は、そういう人の心理について、考察した童話を書いてみたので、ご紹介します。
道化を演じる理由も、様々だと思うので、これはあくまでも一つの例です。

童話というより、小説に近い文体なので、ショートショートに属する作品かも知れません。
この作品は、テキストの下に貼ってあるクラウンの絵を描いているうちに、思い付きました。


道化師の独白

初対面の人と話すとき、私はついまぬけを演じてしまう。
知っていることを知らないふりをし、分かっていることを、分からないふりをする。(卑屈な笑みを浮かべながら。)
すると相手はたいてい、私を見下した態度に変わってしまう。
それで私は、その人に失望し、好かれる努力をするのが面倒くさくなり、無遠慮な態度をとるようになる。
見下した相手から、そんな態度を取られたら、たいていの者は我慢ができない。
そこで縁の切れ目ということになる。
ところが、おかしなことに、道化師の舞台では、このやり方が、一番手っ取り早く大当たりをとる方法なのです。
うそだとお思いなら、明日オペラ座で開かれる私の舞台を、どうぞお見逃しなく。



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【道化師】




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今日は、聖書(旧約聖書)の中の物語をモチーフにした童話を書いてみたので、ご紹介します。
私には信仰はないので、あくまでも題材として、聖書の物語を用いています。そして、聖書らしい雰囲気や教訓が含まれるように、文体を意識しながら書いています。

ヨセフという人が、自分が見た夢のために兄弟から恨みを買ったり、他人が見た夢を分析して未来を予言したりするエピソードが、聖書に出てきます。

この童話の中に登場する、絵に描かれた景色が、その夢の光景です。
その他の部分は、私の創作です。

では、挿絵と合わせてお楽しみ下さい。




画家と両替商

エルサレムの街角で、画家のヨシュアが、昨日描いたばかりの絵を二枚、いちじくの木に立てかけて売っていました。
絵には、友人のヨセフが話してくれた、夢の中で見たという景色が描いてありました。
一枚の絵には、畑の真ん中の芝の束を、十一の芝の束がとり囲んでひれ伏す様子が、もう一枚の絵には、太陽と月、それから、十一の星に囲まれたヨセフの姿が描いてありました。
ヨシュアの絵は、ずいぶんきれいに描けていましたが、立ち止まって絵を見る人の多くは、ヨシュアが有名な画家ではないと知ると、興味をなくして立ち去ってしまうので、いつまで経っても、ちっとも売れないのでした。
ヨシュアは、食べるものにも困って、お腹が空いていたので、いちじくの木を見上げました。青い実がいくつか、枝葉の間から見えましたが、まだ小さかったので、食べられそうにありませんでした。
そこへ、神殿にいくつも店を出している両替商の金持ちが通りかかりました。
両替商は、ヨシュアの絵をじっくり眺めると、畑に並ぶ芝の束の絵を指さして、「いくらだね。」と聞きました。
ヨシュアは、あらためて聞かれると、自分の絵にいくらの価値があるのか、見当もつかなかったので、「あなたの言い値でお売りします。」と答えました。
両替商は、「じゃあこれで。」と言って、青銅貨を十枚、ヨシュアに渡すと、いそいそと絵を抱えて立ち去りました。
ヨシュアは大喜びで、そのお金で、夕食のパンと、次の絵を描くために必要な画材を買いそろえて、家に帰りました。
次の日、ヨシュアは昨日売れ残った絵と、昨晩新しく描いた絵を持って、いちじくの木の下に行きました。
新しい絵には、やはりヨセフから聞いた夢の話の、三本の枝があるブドウの木と、ブドウの房を摘んで杯に絞り、王に捧げる給仕役の男の姿が描いてありました。
ヨシュアが絵を並べて売っていると、昨日の両替商がまたやって来て、腰帯に手を入れたままひとしきり絵を眺めて、二枚を指さして、「いくらだね。」と聞きました。
ヨシュアはやはり、自分の絵に値段を付ける事がためらわれたので、「あなたの言い値でお売りします。」と答えました。
両替商は、「昨日より小さく見えるな。」とつぶやきながら、青銅貨を五枚、ヨシュアに渡すと、あまり嬉しくもなさそうに、絵を両脇に抱えて帰って行きました。
ヨシュアはそのお金で、次の絵を描くための画材を買えるだけ買いました。帰りにいちじくの木を見ると、実は大きくなっていましたがまだ固かったので、お腹が空いていましたが、我慢して家に帰りました。
次の日、ヨシュアがまた新しく描いた絵を持って、いつものいちじくの木の下に行ってみると、両替商がもう来ていて、熟したいちじくを食べながら待っていました。
両替商は、ヨシュアが持ってきた、頭に編みかごを三つ載せた料理役と、一番上の編みかごの中の料理をつついて平らげている鳥の絵を、うさんくさそうに眺めてから、青銅貨を一枚ヨシュアに渡して、「あんたの絵に価値はあるのか?」と、はばかりもなく聞きました。
ヨシュアは、両替商が代金を決めたのだから、私に絵の価値を聞くなんておかしいじゃないかと、腹が立ちましたが、「絵の価値は買った人が決めるものですよ。」と、できるだけおだやかに答えました。
両替商は、その答えにも不満な様子でしたが、それ以上何も言わずに、受け取った絵をためつすがめつしながら帰って行きました。
ヨシュアは、両替商とのやりとりに疲れて、あんまりお腹がすいたので、気を取り直して、いちじくの木を見上げました。でも、実は一つも見当たりませんでした。
両替商が残らず、食べてしまったからです。



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クリスマスが近いという事で、今日はそれにちなんだ短編の小説を発表します。
タイトルは、『物語が書けなくなったマヤさん』です。
この作品は、実は1年前の2015年のクリスマスに書き上げていた作品なんですが、『ペンギンのアッチシリーズ』(クリスマスだけに発表していた童話シリーズ)の2作目も同時に書き上がったので、2015年はそちらを公開することにして、『物語が~』の方は、一年の保存期間をおいて、いよいよ2016年の今日、皆さんにお披露目できる運びとなりました。
創作を趣味にしている人なら、誰もが一度は経験したことのある嫌~な期間、それが“スランプ(低迷期)”です。
スランプを乗り越えるには、どうすればいいか。
この作品には、私の経験も踏まえた、その方法が書いてあります。

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物語が書けなくなったマヤさん

マヤさんは、今朝からもう幾度も、あっちの部屋からこっちの部屋へと、行ったり来たりしていました。
マヤさんは、物語を書くのが仕事なのですが、その肝心の物語が、今日はちっとも、思い浮かばないのです。
こんなに発想が湧かなくなったのは、二十何年もこの仕事をしてきて、はじめてでした。
「すっかり物語が出尽くしてしまって、すっからかんになったのか。しかし、今日の夕方には、編集者のコツガイさんが原稿を取りに来る。何かひねり出さなくちゃならんよ。」
マヤさんは、居間にあった本や雑誌や新聞を、手当たり次第に読んでみたり、とっておきのレコードをかけてみたり、ふだん飲まない、とびきり苦いコーヒーを、顔をしかめて飲んでみたりしましたが、浮かんできたのは、猫のモリーの爪を、そろそろ切ってやらないといけないな、という用事だけでした。
「いよいよ困ったぞ。いつもなら、もうけっこうというくらい、次々とアイデアが浮かんでくるんだが。」
こんなことを考えながら、マヤさんは、上の空でモリーの爪を切るものですから、モリーは気が気でなくて、とうとう「ふにゃー!」と鳴くと、マヤさんのひざの上から、ひとっ飛びで、逃げ出してしまいました。
マヤさんは、「爪切り・・・もとい、締め切りの事ばかり考えるから、かえっていかんのだ。他の事に熱中して、締め切りを忘れてるくらいの方が、かえってすんなり良いアイデアが出るかもしれないよ。」と思って、先週やりかけにしておいた、客間の本棚の組み立てに取り掛かることにしました。
先週は、図面通りにねじが入らないので腹を立ててやめてしまったのですが、今日はすんなり入るので、「あの日は雨だったからな。湿気が邪魔をしたのだ。」と、ひとりごちながら、機嫌よく組み立てを進めました。(本当は、先週組み立てようとした時は、たて板が上下逆さまだったので、ねじが入らなかっただけです。)
やがて、ねじがすっかり取りつけられた本棚ができ上がると、マヤさんは、部屋のすみに積んだ本や雑誌を一束ずつ棚の前に運んで来て、一冊ずつ内容をあらためて、読みふけりそうになるたびに、あわてて本をとじながら、考え考え、棚の各段に並べて行きました。そして、「上の段と下の段には、めったに手に取らない本を、まん中の段には、しょっちゅう手に取る本を並べる。これが、整頓家に言わせると、賢い整頓術なのだそうだ。だけど、私の場合、手に取ったら、後ですっかり読んでしまおうと思って、とりあえずまん中の段に置くだろうから、だんだんみんな、まん中の段に集まって来てしまうような気がするんだが。」と、こんなことを考えながら、種類や大きさごとに、時間をかけて、念入りに並べて行きました。
そして、気に入った感じに整頓がすむと、後ろの窓際まで下がり、すっかり本で埋まった本棚を満足そうにながめてから、祝杯をあげようと、初夏に浸けておいた梅酒を取りに、軽い足取りでキッチンへ向かいました。
すると廊下で、キッチンの窓辺で日向ぼっこをし終えたモリーと、鉢合わせしました。でもモリーは、さっきマヤさんから、上の空で爪を切られたことを、根に持っていたので、「ふにゃー!」と不機嫌そうに叫ぶと、きびすを返して、もと居たキッチンへ、逃げ込んでしまいました。
その、モリーの去りぎわの、仏頂づらを見た時に、マヤさんは、「あっ!締め切り!」と言って、すっかり原稿のことを忘れていたことを、思い出しました。
マヤさんは、腕組みをして、肩をすくめると、
「やれやれ、我ながら、よくここまでうまく忘れられたものだ。しかし、もしこのまま、原稿のことを思い出せずにすごしていたら、夕方になって、編集者のコツガイさんがやってきた時に思い出す、という事になっていたぞ。そうしたら、コツガイさんからあきれられたな。」
マヤさんはしかたなく、今朝と同じように、あっちの部屋からこっちの部屋へ、あてもなく、行ったり来たりしはじめました。でも、物語を書けそうな方法は、今朝からみんな試してしまったので、他に何をしたらいいのかなんて、いくら考えても、浮かんで来るはずもないのでした。
すると、玄関のそばを通りかかったところで、待っていたように呼び鈴が鳴ったので、マヤさんは飛び上がるほどびっくりしました。でも、壁かけ時計を見て、まだコツガイさんが来るには早過ぎると分かったので、誰だろうと思いながら、こっそり扉を開けてみました。すると、そこにはお隣のウニさんが、なにやら美味しそうな物をたくさん詰めたバスケットを抱えて、にこにこ笑って、立っていました。
「なんだ、ウニさんか。」
「なんだとはご挨拶だね。他にもお客さんがあるの?」
そこでマヤさんは、今朝からのことを話して、どうにもなりそうにないが、どうしたものだろうか、と相談しました。
ウニさんはマヤさんの話を聞き終えると、頬に手を当てて、しばらく考えてから、
「それなら、今日が、どんな一日だったか、書いたらいいじゃないの。」
と言いました。
マヤさんは、きょとんとしていましたが、やがて、「おや、そういえば、そうだね!」と言って、さっそく書斎に駆け戻って、机に向かいました。
するとどうやら、これまでのすったもんだがうそのように、すらすらと書き進めることができるのでした。
「ウニさんの言葉は、まるで魔法みたいだ!」

その日の夕方、コツガイさんが原稿を受け取って、上機嫌で帰った後で、マヤさんとウニさんは、キッチンのテーブルで、ウニさんが持参したローストターキーと、マヤさんが大好きなトマトたっぷりのロールキャベツと、きゅうりと大根とトビウオの酢の物をそれぞれ取り分けて、マヤさんの自家製の梅酒で乾杯をしました。(モリーは、ウニさんから好物のささみがもらえたので、いっぺんに機嫌が直りました。)
「ところで、どうして今日は、こんなご馳走を持って来てくれたの?」
マヤさんがローストターキーをほおばりながら聞くと、ウニさんはあきれて、
「なに言ってんの。今日はクリスマス・パーティーをしようと、一週間も前から約束してたんじゃないの!」
と言いました。
「あっ、そうだった!」
そうです。マヤさんは、ウニさんとのクリスマス・パーティーの約束も、今日がクリスマス・イブだった、という事も、ここへ来てようやく、思い出すことができた、というわけです。


おしまい


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 きょうは、新作の短編童話『命の泉』が完成したので、ご紹介します。

北海道の先住民族、アイヌに伝わる神話をテーマにした作品です。

アイヌの神話と言えば、知里幸恵(ちりゆきえ)さんの『アイヌ神謡集』が、決定版として名高いです。
知里さんはアイヌ人で、この本を書き上げた直後に心臓まひでこの世を去りました。1922年9月18日、19歳という若さでした。

私の書いた『命の泉』は、知里さんの著書の中の冒頭で紹介されている神話『梟の神の自ら歌った謡「銀の滴降る降るまわりに」』を下敷きにして創作しています。

知里さんの著作は、アイヌ語の名詞を極力日本語に訳して書かれていますが、私はアイヌ語のユニークな響きを楽しんでもらうために、アイヌ語と日本語訳を併記する形をとっています。

それでは、挿絵と共にどうぞお楽しみ下さい。

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命の泉

アイヌモシリの、深い森の奥には、シクヌプシンスイ(命の泉)という泉が湧いていて、そのほとりには、小さなチセ(かやぶきの家)が立っていて、ごく若い夫婦が、二人きりで、仲むつまじく暮らしていました。
この夫婦は、生まれつき体が不自由で、夫のアシリアイノは耳が聞こえず、妻のアシリレラは目が見えませんでした。
アシリアイノは、泉の魚や泉に集まる動物たちをとったり、森で薪を集めたりして一日を過ごしました。
アシリレラは、サラニプ(あみかご)を編んだり、木の皮で糸をつむいだりして、夫が森や泉から帰って来るのを待ちました。
ある日、コタンコロカムイ(しまふくろう)が、泉のほとりの木にとまって、アシリアイノの漁の様子を見ていると、彼が水に足を浸すやいなや、握った両手を胸にあてて、がたがたとふるえはじめたので、コタンコロカムイは、彼が「もうこんなに冷たい。マタ(冬)が早く廻って来たんだな。」と思っているのが分かりました。
また、別の日に、チセの窓辺の木にとまって、アシリレラの糸をつむぐ様子を見ていると、彼女があかぎれのある指にほっと息を吹きかけて、「もうこんなに寒い。アペオイ(囲炉裏)に火を入れましょう。」と、言っているのが聞こえました。
しばらくして、コタンコロカムイが方々の神々を訪ねて回って、再び夫婦の住むシクヌプシンスイに戻って来てみると、アシリレラは囲炉裏端で、小さな小さな産着を縫っていて、アシリアイノは土間で小さな小さなマタンブシ(はちまき)をかめに浸けて、藍染めにしようとしているところでした。
アシリレラは時々裁縫の手を止めて、
「この子は、耳が聞こえて、目が見える子ですよね。」
と、アシリアイノに話しかけました。
アシリアイノは、それに気が付くと、そのたびに、うんうんと相づちを打ちました。
コタンコロカムイは、その場を飛び去ると、また方々を訪ねて回って、たくさんの神々と話をつけてから、再び夫婦のところに戻って来ました。
チセのそばの木にとまって、窓からうかがうと、囲炉裏端には、小さなかごが置いてあって、中には産着を着た赤ん坊が寝かしてありました。赤ん坊の頭には、藍染めのマタンブシがまいてありました。
アシリアイノとアシリレラは、その子のために、小さな小さなチュプケリ(鮭の皮の靴)を作っていました。
そして、アシリレラが、「ムックリ(口琴)も作ってあげましょうね。」と言うと、アシリアイノは、にっこり笑ってうなずきました。
コタンコロカムイは、それを聞くと、またその場を離れて、今度はずうっと遠くに飛んで行って、方々を訪ね回り、いろいろな神々に会って話をつけてから、長いことかかって、シクヌプシンスイに戻って来ました。
アシリアイノとアシリレラの子どもは、今ではすっかりしっかり者の少年になっていました。
そして、シクヌプシンスイのほとりを元気に跳ねまわっては、ムックリをかき鳴らして遊んでいました。
日暮れ頃に、彼が家に帰ろうとして、ふと見あげると、岩の上に、コタンコロカムイがとまっていて、こちらを静かに見おろしていました。
少年はどきっとしましたが、
「ふくろうの大神様。あなた様はコタン(村落)をお守り下さる方なのに、コタンから離れて暮らす私のような者も見守っていてくださるのですね。本当に有難う御座います。」と、丁寧にあいさつをしました。
家に帰って、コタンコロカムイがいたことを両親に話すと、二人はとても喜んで、元気な子どもを授けて頂いたお礼を、自分たちも直接申しあげたいものだ、と言いました。
その夜、三人の夢の中に、コタンコロカムイが現れて、
「お前たちは昔、身分の高い神であったが、その身分におごって、ずるい行ないを重ねたために、神の国を追われ、今では人間の世界で苦しまなければならなくなっている。だが、その罪も、もうお前たちの善い心がけによってあがなわれている。いや、それ以上の徳を、お前たちは積んでいるのだ。だからお前たちはこれから報われなければならない。」
と言いました。
朝になって、目を覚ました三人は、お互い同じ夢を見たと分かると、抱き合って涙を流して喜びました。
そして、コタンコロカムイのために、祭壇を設けて、そこにイナウ(木彫りの捧げもの)や供物をたくさん飾り、感謝の謡を歌って、繰り返し繰り返し礼拝をしました。
すると、突然イナウがばらばらと砕け落ちて、それらが一粒一粒みんな美しい神の国の宝物になって行きました。
あっけにとられてそれを見ていると、表から大声で呼びかける声が聞こえました。出てみるとコタンに住んでいる夫婦の親類の者が立っていて、
「お前さんたちのことを今まで仲間外れにしてきたが、もし私たちを許してくれるなら、コタンに戻って来て、寂しがっているお前さんたちの両親の近くで暮らしてやってくれないか。」と言うのです。
もちろん、断りなどするはずもありません。夫婦は子どもを連れて以前住んでいたコタンに帰り、そこで立派なチセを三つも作って、夫婦の両親とも、コタンのみんなとも仲良く交流できる、本当に幸福な身の上になれたのです。
それらはすべて、コタンコロカムイのおかげなのです。

おしまい
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今日は久しぶりに、シリーズ物ではない中編童話が完成したので、ご紹介します。
童話の題名は、『お日さまと小舟』です。

励ましを与えてくれる存在は、とても貴重で尊い、ということを、言いたくて書きました。


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お日さまと小舟

広い広い海原の上を、一そうの小舟がただよっていました。
どこから来たのか、どこへ行こうとしているのか、誰も私たちに教えてはくれませんし、また、当の小舟も、教えるつもりはありませんでした。
ただ、お日さまだけは、小舟の事を、今までずっと見守ってきましたので、そんなわけがらは、すっかりご存じでした。
でも、小舟には、それがどうしても、うとましく思えました。
「そうやって見ているだけなら、もう僕のことは、放っておいてください。」
小舟は、お日さまの方を見もしないで、そう言いました。
お日さまは、困ったようにほほえむと、
「お前がどこか、あんばいの良い所へ、落ち着くことができるまでの辛抱だよ。」
と、なだめるように言いました。
小舟は幾日も幾日も、何もない海の上で、不満そうな顔をして浮かんでいました。
陸からうんと離れているので、一羽のカモメも見かけることがありません。
あんまりさびしいので、小舟はお日さまに話しかけたくなりました。
でも、自分から話しかけるなんて、自分のまちがいを認めるみたいで、やっぱりできませんでした。
あくる日、遠くの方で、ゴロゴロと不機嫌そうな響きが聞こえ、山のようにそびえ立つ、大きな積乱雲が、近づいてきました。
お日さまは、
「辛抱するんだよ。私がそばにいるからね。」
と言い残すと、そのまっ黒な雨雲に、おおい隠されてしまいました。
風がしだいに強まって、波が逆巻き、まぶしいいなずまがほとばしると、雷鳴といっしょに大粒の雨がいっぺんになだれ落ちてきました。
小舟は荒れ狂う景色に肝を冷やしながら、一方で、あたりがすっかり真っ暗になってしまわないのは、あのお人好しのお日さまがまだ空に居て、灯りをともしてくれているからなんだなと、そんなことを考えました。
やがて、大きな波が、小舟をのみ込んで、ひっくりかえしました。
そして、次の波が、小舟を空に放り投げて、水面に叩きつけました。
嵐のあいだ中、何度も何度も、小舟は沈められたり投げつけられたり、おそろしい目にあいましたが、そのたびに横板をギッギときしませながら、雲の向こうで灯りをともしてくれているお日さまのことを思って、じっとこらえていました。
嵐の大あばれは、終わりがないほど続きましたが、とうとうようやく、風がまばらになり、波が小山になり、雨が小降りになり、だんだんあたりが静まって来ました。その時、小舟は、自分がうまい具合に、表を上にして、海の上に浮かんでいる事に、気が付きました。
やがて、厚い雲が崩れて、お日さまが顔をのぞかせました。
お日さまは、海原にポツンと浮かんだ小舟を見つけると、
「お前は強い小舟だね。それに、大変運も良かった。」
と、静かに話しかけました。
小舟は照れくさそうに、
「僕は、あなたが居てくれることを、心の支えにしたのです。」
と答えました。
お日さまは、にっこり笑ってうなずきました。
小舟とお日さまとは、これで、お互いに、本心が言い合えるほど、打ち解けることができたのです。
それから、何日かして、小舟は、椰子(やし)の木のたくさん茂った小さな島に、流れ着きました。
浜辺で蟹をつかまえて遊んでいた子どもたちが、波打ち際に打ち寄せられた小舟を見つけて、歓声をあげました。
子どもたちはすぐに、屋根を椰子の葉でふいた近くの家に飛んで行って、白髪あたまのおじいさんを連れてきました。
おじいさんは、舟の中に入ってよく調べて、
「どこも傷んでいない。ていねいに作られた舟だ。」
と言いました。
「どこから来たんだろうね。」
子どもたちが聞くと、おじいさんは、
「外国からだろう。見たことのない形だから。」
と言いました。
島の大人たちで話し合った結果、小舟は、見つけた子どもたちの物、ということになりました。そして、その子どもたちが大きくなるまでは、おじいさんが使う、という事にも決まりました。
もちろん、小舟にとっては、これ以上にいい塩梅はありません。お日さまも、それはそれは、小舟の幸せを、喜んでくれました。
小舟には、そのことが何よりも、うれしかったのです。

おしまい

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かっぱのまちあわせ

ぼくは上戸池(じょうごいけ)のかっぱのかすけです。
きょうは、かのと遊ぶ約束をしたので、いつもの大亀岩(おおがめいわ)の上で、まちあわせです。
朝から、さらさらと、やさしい雨が降っていて、ぼくらにとっては、本当にいい天気です。
さといもの葉っぱの傘をさしているのは、雨よけではなくて、おしゃれです。
かのはいつも、待ちあわせの時、急に池からにゅうと顔を出して、「かすけさん」と声をかけるので、ぼくは毎回おどろいて、池に落っこちます。
だから、今日は、おどろかされないように、『かのがでてきて、じきに、「かすけさん」と呼ぶぞ。もうじきだぞ』と、何度も自分に言い聞かせながら、池を見おろしていました。
でも、ぼくはいつか、傘に落ちる雨の、ぱたぱたという、小気味よい音にひきこまれて、うっかり、別のことを考えていました。
『さといもの傘は、雨たちのすべり台なんだ。高い空から、傘をめがけて、たくさんの雨粒が、ぞろぞろ舞い下りて来る。うまく乗れた者は、得意にきらきら光りながら、まっしぐらに葉っぱの上をすべって行く。そうして、きちんと順番を守って、ひとつぶずつ、池に飛び込んで行くんだ』
「かすけさん」
足もとの池から、かのがにゅうと顔を出して、ぼくに話しかけたので、ぼくはたちまち飛び上がって、傘を持ったまま、ひっくり返って、池に落っこちてしまいました。

おしまい




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 きょうは、オリジナルの短編童話、『きつねからのたより』を書いてみたので、ご紹介します。
この物語は、熊本地震の被災者支援にあたるボランティアの方々から着想を得ました。
ですから、この作品は、心優しいボランティアの方々に捧げます。


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きつねからのたより

ヒルコのきつねが、クアルモでききんがあったということを聞いて、友だちのくまのことを心配して、手紙を書きました。
「はいけい、くまさん。そちらはききんがあったそうですが、だいじょうぶですか。ぼくらが、ききんでこまったとき、くまさんは、ほししいたけやら、はちみつやら、じようのあるものを、たくさんおくってくださいましたね。どんなにぼくらがたすかったか、ことばにもできないくらいです。そんなくまさんが、いま、たいへんなめにあっているかとおもうと、ぼくらはほんとうに、いてもたってもいられなくなります。
みんなでもりであつめたものを、このてがみといっしょにおくりますね。ほったばかりの、やまいもや、たけのこです。
どうぞ、おたっしゃで。あきには、くまさんのだいすきな、くりのみを、どっさりおくりますからね。」
手紙を書きおえると、きつねは、それを小包と一緒につつんで、切手を貼って、郵便局で「くれぐれもよろしくおねがいします。」と言って、びっくりした窓口の人に、預けました。
というわけで、あさってには、クアルモの森のたもとで、きつねからの小包を受け取ったくまが、うれしさのあまり、片足ずつ上げて、ふっふと鼻息を吐きながら、夢中で小躍りしている姿が、見られるだろうと思います。

おしまい

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 今日は、新作の中編童話、『本の話』が完成したので、公開します。
デンマークの童話作家アンデルセンが得意とした、“道具に物語らせる”、寓話的な書き方を用いたお話です。
文章的には、小学校高学年くらいから大人まで楽しめる内容だと思います。


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本の話

 あら、おどろいた。
いえ、私が誰かの手に取られたのは、司書の方以外では、二年ぶりくらいなものですからね、心構えができてなかったのですよ。
いえ、ほんとうです。だって、司書の方だって、私を手に取るのは、書棚の整理のときだけだったんですから。うっかり油断していても、仕方がないってものです。
こんな私ですけれど、私を書いた人は、そりゃあ真剣に、情熱を傾けて私を書いたのですよ。
身びいきになりますけれど、私は自分を、彼の一世一代の傑作だと思っているんです。有名な作家どころか、まだ一冊も本を出版した事がない人でしたけど、なにしろ、寝る間も惜しんで、目を赤くしながら、読んだ人に喜ばれたい一心で、丹精を込めて書いたのですからね。
そして、私が本になって、手元に届いたときの、彼のなんと嬉しそうな、誇らしそうな顔だったことか!
また、私が近所の本屋に置いてもらえる事になって、売れているかどうかを確かめに来た彼の、売れていないと分かった時の、その何ともいえない寂しそうな顔!
本屋のご主人は、「世の中には奇特な人が居るから、辛抱さえしていれば、どんな本でも一冊は売れるものだよ。」と言って、彼を励ましていましたよ。
そして、私はとうとうある日、時々自転車で店を訪れる、珍しいものが好きな若い学生さんに買われて行ったのです。
その学生さんは、町外れの下宿に住んでいました。
その人が、私を読んで、どう思ったのか、口に出してくれるわけではないので、私には判りませんでした。
だけど、ともかく夜更かしをしてまで最後まで読んでくれて、読み終えると、他の本が数冊並んだ本棚の隅に、私をしまいました。
その本棚で、私は『時刻表』という本と出会って、すぐに一番の仲良しになりました。その時刻表は、「私は去年作られた本なので、ほんとうならとっくに捨てられるはずなのだけれど、今年の時刻表を学生さんが買って来なかったので、代わりにそのままここに居ることを許されているの。」、と、自分の身の上を話してくれました。私はその赤い列車の写真が載った時刻表の顔がとても好きだったので、「あなたみたいに綺麗な本とお隣同士になれてすごく嬉しいわ。」と言いました。時刻表も、「私も、面白そうな本がお隣に来てくれて、とても嬉しいの。これからお互いの内容を教え合って楽しく過ごしましょうね。」と言ってくれました。
本棚には、他にも大小いろいろな本が集まっていましたが、一番偉いと言われていて、“棚長”という役目を任されていたのは、『参考書』という本と、『辞書』という分厚い本でした。どちらも、学生さんから読まれる事のなくなった私たちと違って、時々学生さんの手に取られて、熱心に読んでもらえていたので、もうすっかりうぬぼれてしまって、ただでさえ肩身の狭い私たちに、「僕らは、毎回難しい仕事をこなして、学生さんの役に立ち、またお前たちのほこりやくもの巣を払う役にも立っている。そこへ行くと、お前たちはどうだい。僕らが仕事を終えて帰って来ると、僕らがいた場所まで幅を利かせてふさいじまうような、なまけ者の恩知らずじゃないか。え、自分たちだって学生さんに読んでもらいたいって?あつかましこと言うね!お呼びがかからないのはひとえに、僕らのような、役に立つ本になるための努力を、日ごろからちっともして来なかったからじゃないか。」なんて、勝手な嫌味をしょっちゅう言うのでした。
そんな時、時刻表は、気落ちした私にこっそり、「私たちだって、作ってくれた人は、世の中の役に立つようにとそりゃあ真剣だったのよ。そして、私たちはきちんと自分の役目を果たしたわ。あの本たちには、それが分からないのよ。」と言って、優しくなぐさめてくれました。
そのうち、学生さんがめでたく学校を卒業して、下宿を引き払って故郷に帰るという事になりました。私たち本は、荷物になるという事で、古紙回収に出される者と、学生さんについて行ける者とに分けられることになりました。
驚いたことは、いつもあんなにいばっていた参考書が、真っ先に古紙回収の束にまとめられたのです。いじめられていた時分には、早くどこかに行ってしまえばいいのにと、あんなに嫌っていたはずなのに、こうやって古紙回収に回されて、言葉もなく、しょんぼりしているのを見ると、本当にかわいそうなものでした。
そして、本棚の中で誰よりも幅を利かせていた、あの太っちょの辞書も、古紙回収の束にまとめられることになりました。学生さんの実家に、他の優秀な辞書がいて、ここの辞書に任せる仕事がない、というのが理由でした。辞書はまだあきらめきれないようすで、しきりに体をくねらせて古紙の束から逃れようとしました。そこで、困った学生さんは、辞書を束の横に置いて、束とは別に収集所へ持って行く事にしました。
それから、私は、あの親切な時刻表が、古紙回収の束に重ねられるのを見ました。
時刻表は、泣いてばかりいる私を見て、
「私たちは、立派に役目を果たしたのです。そして、また新しく世の中の役に立ちに行くのですよ。今までありがとう。あなたはあなたの場所できっと役に立ってくださいね。」
と言って、笑いながらあの綺麗な表紙をぺらぺらと振りました。
本たちがみんな段ボールに入れられたり古紙回収に出されたりして、私がひとり空になった本棚で、心細く横になっていると、学生さんは私をひょいとかばんに入れて、自転車で外に出かけました。
しばらく走って、着いた先の大きな建物の中で、私はかばんから取り出されて、エプロンを着けた女の人に、書類と一緒に渡されました。
そこが図書館というところで、学生さんは私をそこに寄贈したのだという事を知ったのは、私が無数にある本棚の一つの、私とよく似た仲間の本たちと一緒に並べられて、彼らからそれを教えてもらった時です。
そして、私がここに来てから、もう十五年も経とうとしているのです。
あなたが今、手に取っている本が、あなたの手に取られるまでには、こんなに色々ないきさつがあったのですよ。
私はそのことを、あなたに伝えたかったのです。
では、どうぞ私を読んで下さい!





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